1984年〜1987年 ホンダとの提携とは? わかりやすく解説

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1984年〜1987年 ホンダとの提携

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 18:13 UTC 版)

ウィリアムズF1」の記事における「1984年〜1987年 ホンダとの提携」の解説

1983年は旧シャーシ熟成型となるFW08C参戦し勝利ロズベルグによるモナコGPでの1勝のみに終わるが、同年エンジンサプライヤーとして15年ぶりにF1活動再開したホンダ交渉開始し6月には契約締結成功以後V6ターボエンジン搭載するシャーシ開発注力1983年最終戦にてFW09をデビューさせるウィリアムズターボエンジンを使うのはこれが初めてだったことに加え、ホンダエンジンの燃費過渡特性悪さもあり、すぐにはその能力発揮することはできなかった。そんな中1984年アメリカGPダラス)で酷暑レースをロスベルグが制し、ホンダエンジンとしては17年ぶりとなるF1での勝利をものにした。この1984年より新たにウィリアムズスポンサーとなったインペリアル・ケミカル・インダストリーズ(ICI)は、80年代通して長らく円形ロゴウィリアムズのフロントノーズに載せ続けることとなった1985年にはキヤノンとのメインスポンサー契約成立ジャック・ラフィーリジェ移籍決まった為、ルノーデレック・ワーウィック獲得オファーをするも、ルノー残留望んだワーウィック断られたため、ロータスピーター・ウォー不仲となり放出されナイジェル・マンセル獲得しロズベルグとのコンビとなった。FW10はホンダ新設エンジン搭載した決勝レース中のタイヤ磨耗苦戦したが、シーズン終盤にはサスペンション改善しシーズン最後に3連勝飾ったちなみにマンセルはその口火となる地元イギリスでの第14ヨーロッパGPがF1初優勝出走72戦目で当時としてはデビュー後最も遅い初優勝だった。ホンダ・ターボの初期開発支えたロズベルグマクラーレンへの移籍決まり4年在籍したウィリアムズ去った1986年2度ワールドチャンピオン経験者であるネルソン・ピケ加入。この時点マンセルはまだ前年の1勝のみであり、ピケは完全No.1待遇ウィリアムズ契約した。ホンダエンジンを武器に9勝し、3度目のコンストラクターズタイトルを獲得する。しかし、チーム内ではピケ派とマンセル派のいさかい生じた。この背景は、契約上でピケNo.1ドライバーとして加入したにもかかわらず、それに反発するようにチーム自国ドライバーマンセル優遇し、両ドライバー険悪な関係を招いたまた、チームオーナーフランク交通事故により脊椎骨折の重傷負い下半身麻痺となり車椅子での生活を余儀なくされた。それでも車椅子姿でチーム指揮を執ったが、定期的な療養が必要であったため、リーダーとしてチーム内の混乱収める余裕がなかった。さらに、フランク含めウィリアムズ側がマンセル支持していたのに対しエンジン供給するホンダピケウィリアムズ加入推薦したことやその条件としてピケ契約金一部負担していたことからピケ支持していたこともこの混乱拍車をかけた。ピケはこの2年後受けたインタビューにて「契約から半年後にはチームとのNo.1待遇約束反故にされ状況難しくなった。マンセル1986年ブランズハッチ優勝して、その翌週フェラーリからマンセル獲得したいと声がかかった。するとフランク(・ウィリアムズ)は、急にマンセル多くのことを約束してウィリアムズ残ってくれと懇願した。それから僕には多くの腹の立つ出来事起こり始めたNo.1のはずの僕はアクティブ・サスのテストドライバー成り下がってしまった。サス開発テスト走行全てこっちにやらせてもう一人レースだけに集中して良いなんてことを承服できるわけがない。」とこの年内情述べている。 こうしたチーム内の混乱突かれ最終戦オーストラリアGPではマクラーレンアラン・プロストドライバーズチャンピオンさらわれてしまった。最強エンジン有しチャンピオン最有力チームとされた2人ともドライバーズ・チャンピオン逃した理由問われピケは「No.1二人いたから」と、チーム力分散真っ先挙げた1987年コンストラクターズ連覇しピケマンセルとの戦い制してチャンピオン獲得したまた、ロータス続いてアクティブサスペンション投入しイタリアGP勝利している。しかしピケマンセル優遇するチームへの不満が募り、このシーズン限りロータス移籍。さらにホンダマンセル変わって日本人ドライバー起用要求しウィリアムズ側がそれを拒否するなどホンダとの関係急速に悪化しホンダエンジン供給マクラーレンロータスの2チーム変更してウィリアムズへのエンジン供給打ち切ってしまう。コース上で最速誇ったものの、短期間多くのものが失われる幕切れとなった

※この「1984年〜1987年 ホンダとの提携」の解説は、「ウィリアムズF1」の解説の一部です。
「1984年〜1987年 ホンダとの提携」を含む「ウィリアムズF1」の記事については、「ウィリアムズF1」の概要を参照ください。

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