1984年〜1993年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/21 05:44 UTC 版)
「サヴァタージ」の記事における「1984年〜1993年」の解説
1984年、サヴァタージはメジャー・レーベルであるアトランティック・レコードとの契約を果たし、1985年にはマックス・ノーマンのプロデュースによる移籍第1弾アルバム『パワー・オブ・ザ・ナイト』を発表した。 キース(B)の脱退、ジョニー・リー・ミドルトン(B)の加入を経て、アルバム『ファイト・フォー・ザ・ロック』(1986年)を発表すると、サヴァタージのアルバムとしては初めてBillboard 200へのチャート・インを果たし、最高158位に達した。しかし、同作はアトランティック・レコードからの圧力により商業的な内容となった作品で、ジョンは1994年に「自分もバンドもこのアルバムを好きだったことはない」とコメントしている。同年にはモーターヘッドのオープニング・アクトとして初のヨーロッパ・ツアーを行った。 1987年のアルバム『ホール・オブ・ザ・マウンテン・キング』のプロデュースを担当したポール・オニールは、その後も長年に渡ってサヴァタージとの共同作業を続けていくこととなる。同作に伴うツアーからクリス・キャファリー(G)が加入し、サヴァタージは5人編成となった。 『ガター・バレエ』(1989年)では、ジョンはピアノを多用するようになり、バンドの音楽性はプログレッシブ・メタル色が強まっていく。その後キャファリー(G)が脱退し、バンドは再び4人編成となって、初のロック・オペラ作品『ストリーツ・ア・ロック・オペラ』(1991年)を発表。 同作に伴うツアーが終了すると、ジョンはボーカリストとしての活動を休止することにして、新ボーカリストのザッカリー・スティーヴンスが加入。ジョンは作曲やキーボード演奏で引き続きバンドに籍を置き、1993年にはザッカリー(Vo)在籍時としては第1弾となるアルバム『エッジ・オブ・ソーンズ』発表。タイトル曲は、シングルとして『ビルボード』誌のメインストリーム・ロック・チャートで26位に達した。 しかし、同年10月17日、クリス・オリヴァ(G)が交通事故で死去する。クリスの墓石には、『ストリーツ・ア・ロック・オペラ』収録曲「ビリーヴ」の歌詞の一節が刻まれた。
※この「1984年〜1993年」の解説は、「サヴァタージ」の解説の一部です。
「1984年〜1993年」を含む「サヴァタージ」の記事については、「サヴァタージ」の概要を参照ください。
- 1984年〜1993年のページへのリンク