1984年の日本訪問
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「ジーン・ディクソン」の記事における「1984年の日本訪問」の解説
日本ではノストラダムス、エドガー・ケイシーとともに「世界三大予言者」と位置づけられることもしばしばであった。 彼女の初の(そして結果的に唯一の)訪日は1984年春に実現した。その際、オカルト雑誌だけでなく、一般の週刊誌も関連記事を掲載した。彼女を招いたのは日本テレビで、ディレクターだった矢追純一の10年来の出演依頼に応じたものであったという。来日直後にあたる3月27日に赤坂プリンスホテルで開かれた記者会見で、なぜこのタイミングでの訪日となったのかという質問に対し、彼女は神の命じるところに従ったという趣旨の回答をした。記者会見では、ほかにも以下の予言をしたという。 日米同盟は堅持され、貿易摩擦でこじれようとも崩れない。 2、3年以内に中国で文化大革命に似た「騒ぎ」がおきる。 北方領土は返還されない。その代わり、21世紀になるころに、国際的な管理地域になる。 3月31日から4月1日にかけて京都を個人的に訪問したが、『ムー』の記者が同行した。主目的であったテレビ番組『11PM』の収録は4月2日に行われ、翌日に帰国した。収録された番組は5月7日に放送され、以下のように、国際政治から日本のスポーツや芸能まで幅広い予言が行われた 今年(1984年)のアメリカ大統領選挙では、民主党の予備選挙(英語版)を勝ち抜くのはウォルター・モンデールになるが、レーガンの再選を阻むことは出来ない。 近い将来に東京で大地震が起こることも富士山が爆発することもない。 今年(1984年)の日本の夏は「いい気候」だが、次の冬との寒暖差は大きくなる。 今年(1984年)のプロ野球について、セ・リーグは読売ジャイアンツ、パ・リーグは阪急ブレーブスが優勝する。 (出産間近だった)山口百恵の長子が男の子か女の子かはいえない。 イラン・イラク戦争は1985年に終わる。 浩宮は1987年に成婚する。相手は「同じ世界」の女性で、留学経験を持ち、数か国語を使える人物である。 ロス疑惑の真相は放送では公表できない。 糖尿病は、完治する治療法が「もうすぐ」確立される。 1990年代に核戦争が起こり、人類のうち3分の1以上が死に絶える。 (番組司会者の)大橋巨泉は政界に進出する。 木星探査の過程で、反地球が発見される。 自分(ディクソン)は来年にも日本に来る。 これらの予言について、志水一夫は的中したと見なしうる一部の例では表現が曖昧だった一方で、ディクソンの再来日の予言も含め、明らかに外れたものも多くあったとまとめている。なお、プロ野球の優勝チームの予想については、パ・リーグの阪急優勝に驚きの声が上がった途端に慌てて釈明する場面もあったという(実際にはセ・リーグが外れ、パ・リーグが的中した)。 ディクソンの来日期間中には、政財界の関係者達との会食なども何度かもたれたという。『週刊サンケイ』ではその一つとして1984年3月28日、赤坂の料亭「佳境亭」での会食をレポートしており、その席には徳洲会の徳田虎雄をはじめ、麻生セメント、佐川急便、立石電機、バンダイ、服部セイコーなどの会社関係者が集まったとしていた。また、『トワイライトゾーン』では1984年3月31日、京都の佐川急便社長邸での晩餐会の模様を報じており、佐川急便社長や京セラ社長等、京都財界のトップ達が集まったとしていた。
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