1981 - 1983年
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「インペリアル (自動車)」の記事における「1981 - 1983年」の解説
この世代はインペリアルをスペシャリティカーとして復活させようといういささか急進的な試みを具現化したものであった。リー・アイアコッカが1960年代にフォードに在籍していた頃にリンカーン・マーク(Lincoln Mark) シリーズがこの市場で成功する手段となっていたことから考えると、彼がクライスラーの舵取りを任された後でこの車が出て来たことは偶然ではないであろう。クライスラー社は破産に直面していたが、アイアコッカは「新しいフラッグシップ車は、クライスラーには未来があることを消費者に確信させる。」と決断した。" 新しいインペリアルは、J-ボディと命名された112.7"のホイールベースを持つシャーシを第2世代のクライスラー・コルドバ(Chrysler Cordoba)とダッジ・ミラーダ(Dodge Mirada)と共有するより小型の2ドア車のみであった。インペリアルは十分な装備品を備え、ホイールとカーオーディオ以外には実質オプション品はなかった。エンジンは318 cu in (5.2 L)のV8が1種類のみであったが燃料噴射装置付きであった。この世代のインペリアルもクライスラーの名称は付けていなかった。 以前の他のインペリアルとは異なり、この車はインペリアルの鷲のロゴを使用していなかった。その代わりにこの時代のすべての製品と同じようにクライスラーの「5角星(Pentastar)」を着けていた。しかし、インペリアルとルバロン コンバーチブルのマーク・クロス エディション(Mark Cross Edition )だけはボンネット上に宝石のようなカットクリスタル製のオーナメントを着けていた。かなり驚くべきことに(クライスラーのワークスとしての援助がなかったにもかかわらず)幾台かの車が1981年から1985年まで(バディー・アリントン:Buddy Arrington、リック・ボールドウィン:Rick Baldwin、セシル・ゴードン:Cecil Gordon、フィル・グード:Phil Goodeとモーリス・ランドール:Maurice Randallの運転で)NASCAR・サーキットのレースに参戦し、1982年夏のミシガン州・ブルックリン(Brooklyn)で開催されたレースで最高6位を記録した。NASCARの愛好者達は高級車がサーキットでレースに参加するのを観て驚いた。レースでインペリアルが使用された理由は、当時のダッジ・(ミラーダ:Mirada)よりも空力特性が優れていたからであった。アリントンのインペリアルは現在(2008年秋)タラデガ(Talledega:アラバマ州)のNASCAR博物館に置かれている。 キャデラック・エルドラド(Cadillac Eldorado)やリンカーン・コンチネンタル マークVI(Lincoln Continental Mark VI)の様な競合車種が1981年に小型化を図ったことによりインペリアルは意図した市場の車としては微妙な大きさとなってしまった。当時のエルドラドが成功の頂点を示した様に、この種の車を受け入れる市場の要求している車はインペリアルよりも小型のものであった。CMや雑誌広告にアイアコッカの友人で歌手のフランク・シナトラ(彼はハリウッドの友人の幾人かにこの車を購入するように勧めた)を起用するなど、重要なマーケッティングは新しいモデルに傾注していた。 新しいインペリアルは軌道には乗れなかった。故障しがちな燃料噴射装置以外にこの車には技術的な先進性はなく、クライスラーは1970年代の大失敗から続く品質に関する評判に悩まされていた。ディーラーは、しばしば燃料噴射装置をキャブレターに交換することがあった。キャデラックの議論を呼んだ1980年モデルのセビルにそこはかとなく似た奇妙な「バッスルバック("bustleback")」の後姿はスタイリング上の欠点となり、同じショールームで販売される、かなり安価で機構的には類似した(そして信頼性に富む)コルドバとの競合も同様に障害となった。 1980年代のクライスラーに関してよく言われた不運は、単純にキャディラックやリンカーンと同じクラスにそれらと太刀打ちできない名称を与えてしまったということであった。マスメディアがブランド名と結び付けて最も頻繁に使用した「破産」という言葉は、豊かさを象徴する車という物を購入しようとする消費者を魅了するものではなく、インペリアルの車自体も致命的な程信頼性に欠けていた。これは未成熟なエンジンの不具合によるエンジン停止であり電気系統の故障は再発することも知られており、全般的な信頼性は競合車のレベルには達していなかった。 現在ではその不成功によりこの世代のインペリアルは幾らかの希少価値を持っている。燃料噴射装置が交換されないままの固体は当時と同様に故障が付きまとうが、修理用の部品は稀少である。クライスラーのディーラーの中には318 cu in エンジンをキャブレター付きの360 cu in (5.9 L) V8 に載せ換えるところもあったが、この構成は工場出荷の正規の製品ではなかったが恐らく「"工場出荷正規品"」として扱われたと云われている。
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