1980年頃から1990年代までとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 1980年頃から1990年代までの意味・解説 

1980年頃から1990年代まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 03:53 UTC 版)

日本電気」の記事における「1980年頃から1990年代まで」の解説

1982年昭和57年)に発売された「PC-9800シリーズ」は、約15年間にわたって日本パソコン市場席巻し、全盛期には「国民機」とまで呼ばれるようになったC&C理念小林実質的な後継社長であった関本忠弘時代にも引き継がれ上記PC-9800シリーズによる国内PC圧倒的シェア加え1985年にはスーパーコンピュータSX-2が世界最速となり、1980年代後半には半導体生産世界一位となるなど、日本代表するエレクトロニクス企業へと成長したコンピュータ系の事業部門においては富士通池田敏雄と並ぶ日本情報処理分野の生みの父とされる水野幸男などが、汎用機関本の好む大型技術案件だけに集中しがちなNEC自体傾向補正しPCUNIXなどの当時次世代技術に他ベンダよりいち早く投資続ける事により発展してきたという側面大きい。 NEC含めた日本企業国際半導体市場進出は、「日の丸半導体」と呼ばれ日米半導体貿易摩擦問題として政治問題化するまでになったプラザ合意1985年)後の急速な円高や、1986年から1996年まで続いた日米半導体協定」 の影響により海外競争力衰えることとなったこの間1983年昭和58年)には、英文社名現在のもの変更している。1990年平成2年)には、創業以来の地に現在の本社ビルであるNECスーパータワー建設された(建設中森永製菓本社がある森永プラザビル間借りしていた)。さらに、1992年平成4年10月5日には、CI刷新により、現在の青色NECロゴ変更した。このロゴ使用開始した1992年平成4年以降対外的には「NEC」を通称とするようになっている1990年代後半至り国内PC市場でのPC/AT互換機対応の遅れ、海外PC市場進出をめざし買収したパッカードベル社の不振半導体市場での米国韓国勢との競争激化といった要因により業績勢いにかげりが見えた矢先1998年平成10年)には防衛庁調達における価格水増し疑惑発覚し企業イメージ損なうこととなった。この責任を取る形で関本会長退き社長金子尚志から西垣浩司へと交代した

※この「1980年頃から1990年代まで」の解説は、「日本電気」の解説の一部です。
「1980年頃から1990年代まで」を含む「日本電気」の記事については、「日本電気」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「1980年頃から1990年代まで」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「1980年頃から1990年代まで」の関連用語

1980年頃から1990年代までのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



1980年頃から1990年代までのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの日本電気 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS