池田敏雄とは? わかりやすく解説

池田敏雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 05:49 UTC 版)

池田 敏雄(いけだ としお、1923年8月7日 - 1974年11月14日)は、日本のエンジニアで、日本のコンピュータ開発のパイオニア。1970年から富士通役員を務め、死後に専務を贈られた[1]正五位勲三等


  1. ^ a b c d e f g h 富士通 池田記念室 池田敏雄ものがたり (PDF)
  2. ^ 田原 43-47頁、64-67頁
  3. ^ a b c 田原 64-67頁
  4. ^ 田原 67-70頁
  5. ^ 田原 71-72頁
  6. ^ プロジェクトX 第83回「国産コンピューター ゼロからの大逆転」(日本放送協会)
  7. ^ 『池田記念論文集 FACOM開発を中心として』(全国書誌番号:78026611)p. 224
  8. ^ 田原 92-94頁には、川谷幸麿の「ダイヤルのミスは理論的に起きるのだ、ということを証明しようとしたもの」という証言があるが、外部にも公開されている論文集に収録されている内容(#参考文献の節を参照)に限ると(トラブルの具体的な内容は社内秘であるのか)、運動の解析についてしか述べられていない。
  9. ^ 田原94-95頁
  10. ^ a b c d e 富士通 歴代社長とシンボルマークの変遷 (PDF)
  11. ^ 田原 94-105頁
  12. ^ 遠藤 156-161頁
  13. ^ 田原 121-123頁
  14. ^ 田原 141-143頁
  15. ^ リレーについて「安定した」という形容は多くの文献に見られるものではあるが、カシオの計算機14-Aのように人間が操作するものならともかく、コンピュータと呼ぶにあたいするような、ループを含む複雑で膨大な、延べにすれば何億回もの断続を自動的に間違い無く進めなければならない装置の部品として使うには、機械的な接点を持つリレーの信頼性はそんなに高いわけではない。リレー式FACOMが、一種のパリティのような方式で信頼性を上げているのがその何よりの証拠と言えよう。富士通がこの時期にリレーを使ったのは、手元にあって手慣れた素子であったこと、電子式をいきなり手がけようというのは(電子式コンピュータはこの時点で、まだ国内では1機も実稼働していない)時期尚早で無謀という判断からである(TACや阪大真空管計算機のその後の経過から見て、この判断は正しかったと言えよう)。
  16. ^ 田原 125-126頁、152-159頁
  17. ^ 遠藤 163-164頁
  18. ^ a b 田原 164-166頁
  19. ^ 田原 172-176頁
  20. ^ 田原 174-177頁
  21. ^ 田原 180-185頁
  22. ^ 田原 192-198頁
  23. ^ 一般社団法人情報処理学会. “FACOM 222,241-コンピュータ博物館”. 2012年7月12日閲覧。
  24. ^ 田原 200-201頁
  25. ^ 遠藤166-168頁
  26. ^ http://museum.ipsj.or.jp/computer/main/0016.html
  27. ^ 一般社団法人情報処理学会. “FACOM 222,241-コンピュータ博物館”. 2012年7月12日閲覧。
  28. ^ 田原 231-233頁
  29. ^ a b 田原 237-242頁
  30. ^ 田原 252-256頁
  31. ^ 田原 259-264頁
  32. ^ 田原総一朗 人間発掘スペシャル「アメリカに勝った男! 日本コンピューター界の隠れた巨人 激動の生涯」録画
  33. ^ 遠藤 170-171頁
  34. ^ 田原 267-268頁
  35. ^ 田原 280-282頁
  36. ^ 田原 285-290頁
  37. ^ a b 遠藤 174頁
  38. ^ 一般社団法人情報処理学会. “FACOM M-190-コンピュータ博物館”. 2012年7月12日閲覧。
  39. ^ 田原 290頁
  40. ^ 田原 170頁
  41. ^ 博士論文書誌データベース
  42. ^ a b 一般社団法人情報処理学会. “池田 敏雄-コンピュータ博物館”. 2012年7月14日閲覧。
  43. ^ 昭和49年11月21日付け『官報』第14369号、14頁。
  44. ^ 富士通バスケットボール部 (PDF)
  45. ^ 遠藤 161頁
  46. ^ 田原 27-28頁
  47. ^ 余談だが、川崎工場 "Fujitsu Technology Hall" に直筆の清書稿と思われる原稿があり、同社のフローチャート用紙に書かれている。
  48. ^ 読売新聞 (2007年12月29日). “読売新聞 囲碁将棋 棋聖戦 岡目八目(3)故池田敏雄専務の願いが結実(寄稿連載)”. 2012年7月14日閲覧。
  49. ^ 田原 116頁
  50. ^ 稲葉善治「私の履歴書 第5回 『池田敏雄さん』」日本経済新聞、2022年1月6日(有料記事)。(紙の新聞への掲載は同日朝刊・第36面)
  1. ^ プロジェクトXで、即座に分析を示したかのように描かれているのは演出。
  2. ^ 1949年に郵政省電気通信省に分離
  3. ^ 従業員を4100人から2600人へ削減した
  4. ^ 当時の会社の売上の80%が日本政府からの発注だった。田原 104頁
  5. ^ プロジェクトXで、UNIVACなどの電子計算機に影響されたかのように描かれているのは演出。
  6. ^ スイッチング速度では真空管で作られたENIACの約1000分の1。 田原 129-130頁 152-153頁
  7. ^ プロジェクトXでは、リレー機のそれぞれをきちんと区別せずエピソードをごちゃごちゃに演出している。
  8. ^ 1959年の会社の売上はコンピュータは10%に満たず、約80%が通信機器によるものだった。 田原184頁
  9. ^ 日本市場の1位はIBMでシェアは約50%。 田原20-21頁
  10. ^ 池田敏雄氏の囲碁ルール試案の紹介 東北大学助教・黒木玄による解説
  11. ^ 2008年現在で現存せず。


「池田敏雄」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「池田敏雄」の関連用語

池田敏雄のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



池田敏雄のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの池田敏雄 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS