FACOM 開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 12:50 UTC 版)
「FACOM」を参照 (以下はダイジェストであり、FACOMの開発に関してはそちらの記事を参照のこと)1953年5月に開発を開始した汎用コンピュータのプロトタイプであるFACOM100は1954年10月に完成した。真空管よりも計算速度が遅い代わりに安定した素子であるリレー回路を用いており大学・研究所の計算の代行を行った。池田は1956年に商用化版のFACOM128を完成させ、文部省をはじめ30台以上を売り上げた。 その後、日本で開発された素子パラメトロンを用いたFACOM200などの開発を行った。しかし次世代の素子として業界首位のIBMはトランジスタによるコンピュータ開発へ転換しており、遅れを認識した池田は小林を説得してトランジスタによるコンピュータの開発を進めるよう進言した。コンピュータの事業は赤字であったが、小林は社長の和田恒輔を説得して体制を整え、新たにコンピュータの為の部が作られた。 1959年、社長に就任した岡田完二郎はコンピュータに対する関心が高く、池田を始めとした若手エンジニアが専門知識の講義を行った。池田は1961年にトランジスタを用いた大型コンピュータであるFACOM 222Aを完成させ、製造業や大学などに採用された。1962年に岡田はコンピュータ事業に注力することを宣言し、ハード開発・ソフト開発に人員を割り当てた。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}1964年[要出典](情報処理学会コンピュータ博物館には「1968年3月に完成」とある)に池田はICを用いたFACOM230-60を完成させた。 世界初の2CPUを実現したFACOM230-60は130台以上を出荷し、1970年に富士通は日本のコンピュータメーカーでシェア1位となった。
※この「FACOM 開発」の解説は、「池田敏雄」の解説の一部です。
「FACOM 開発」を含む「池田敏雄」の記事については、「池田敏雄」の概要を参照ください。
- FACOM 開発のページへのリンク