おん【恩】
読み方:おん
[音]オン(呉)(漢)
めぐみ。いつくしみ。情け。「恩愛(おんあい・おんない)・恩恵・恩師・恩賜・恩赦・恩情・恩人・恩寵(おんちょう)・恩典/感恩・旧恩・君恩・厚恩・高恩・鴻恩(こうおん)・謝恩・重恩・大恩・朝恩・仏恩・報恩・忘恩」
[名のり]おき・めぐみ
おん【恩】
おん 【恩】
恩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/30 10:15 UTC 版)
![]() |
出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。
|
恩(おん)とは、他の人から与えられた恵み、いつくしみのこと[1]。
概説
恩は、すでに後漢時代の許慎の『説文解字』において、「恵(めぐみ)」という意味だと解説されていた。
日本でも『日本書紀』や『古語拾遺』などでも「恩」は「めぐみ」「みうつくしみ」「みいつくしみ」などの読み方がされていた。
ところで「めぐみ」という言葉の語源は、「菜の花が芽ぐむ」などと表現する時の「芽ぐむ」という言葉を名詞の形にしたものとされている。木や草が芽ぐむのは、冬の間は眠っていた草木の生命力が春の陽気によってはぐくまれて目覚めることによる。つまり、他の者に命を与えたり命の成長を助けることが「めぐみ」を与えることであり、恩をほどこすことなのだということなのである。その逆の立場が、めぐみを受けること、恩を受けることである、と理解される。
恩というのは、狭い意味では、人からさずかる恵みを指しているが、広義には、神仏あるいはこの世界全ての存在からさずかる恵みも指している。
仏教では、自分が受けている恵みに気づき、それに感謝することを重視している(後述)。キリスト教でも、神から届けられている恵みを感じることが重視されている(後述)。自分にめぐみが届いているのだと繰り返し意識することは、幸福感をもたらすことであり、様々な宗教で重視されている。
恵みを受けることは「受恩」と言うことがあり、自分がめぐみを受けていることを自覚することは「知恩」と言う。また、めぐみに報いることを「報恩」と言う。
恵みを受けているにもかかわらず、自分が受けている恵みに気付かないこと、恵みに感謝しないこと、恵みに報いようとしないことなどを「恩知らず」と言う[2]。
仏教での概念
古代インドの原始仏教においては、他者によって自分のためになされたことを知り、それに感謝することが重要な社会倫理である、と説かれていた。この説明で用いられる古代インドの表現「krta(なされたる)」、「upakara(援助・利益)」は、中国で「恩」と翻訳されることになった。
この原始仏教の社会倫理の概念はやがて「四恩」の概念へと発展した。
『正法念処経』(しょうぼうねんじょきょう)では、母親、父親、如来、説法してくださる法師からの恩、の四恩のことが説かれた。
『大乗本生心地観経』(だいじょうほんしょうしんじかんぎょう)では、父母、衆生、国王、三宝の四恩のことが説かれた。
中国では儒教が浸透しており、そこでは、親の恩、親の恩に報いる「孝」の倫理が重視されていた。よって、親の恩と孝を説く『父母恩重難報経』を中国人は重視した。
仏教では、自分がめぐみを受けていることに気づくこと、自覚することを「知恩」と言い、これを重視する。寺の名称などにもしばしば用いられている。
仏教では上記のように恩は肯定的に捉えられている。
ただし、古代インドの言葉で「trsna(渇愛)」や「priya(親の情愛)」も漢語で「恩」と訳されることがあり、そちらのほうは、仏教の修行の妨げになるものと理解されている。
キリスト教での概念
キリスト教において扱われている恩の概念で何より重視されているのは神の恩である。これは、無条件に人間を救おうとする神の無償の働きかけのことをいう。
ギリシャ語でἀπολυτρώσεως(アポリュトローシス)、λυτρόω(リュトロオー)と表現する。日本語においては「贖い」と訳され、あるいは「キリストの磔刑」とも表現されている。
神の愛は、人間の愛とは異なっていて、相手の性質を条件とはせず、むしろ罪深い人間に対してまず賜物を与えて、人間の側の自由な応答を待つとする。よって恩寵は、新約聖書では「義認」という訳語になっていることがある。
アウグスチヌスは、恩寵論を展開した。13世紀には、トマス・アクィナスが恩寵論を精緻に探究し、恩寵が、人間の自由意志の能力に働きかけ(現行的恩寵)、それによって人間存在そのものを高揚させ成聖することを語った。
東方ギリシャ教父の思想では、創造および人間・宇宙の営為一切が恩寵的なエネルゲイアの影響のもとにあると理解されている。
マルティン・ルターは、恩寵の前に赤裸に存在する人間のあり方の重要性を説いた。
脚注
参考文献
- 「Yahoo百科事典」[1]
- 仏教思想研究会編『仏教思想4 恩』平楽寺書店、1979
- 平凡社『世界大百科事典』
関連項目
- 「恩」で始まるページの一覧
- 「報恩」で始まるページの一覧
- 恩返し - 誰かから受けた恩を直接その人に返すこと。
- 恩送り - 誰かから受けた恩を直接その人に返すのではなく、別の人に送ること。
- 御恩と奉公 - 日本の中世の武士の主従関係に関わる概念。
- 仏教関連
- キリスト教関連
- 作品
恩
出典:『Wiktionary』 (2021/08/11 23:40 UTC 版)
発音(?)
名詞
成句
熟語
- 恩愛(おんあい、おんない)
- 恩威(おんい)
- 恩慰(おんい)
- 恩蔭(おんいん)
- 恩栄(おんえい)
- 恩怨(おんえん)
- 恩化(おんか)
- 恩仮(おんか。恩假)
- 恩顔(おんがん)
- 恩紀(おんき)
- 恩輝(おんき。恩徽)
- 恩義(おんぎ) / 恩諠
- 恩諠(おんぎ) / 恩義
- 恩仇(おんきゅう) / 恩讎
- 恩旧(おんきゅう)
- 恩給(おんきゅう)
- 恩金(おんきん)
- 恩遇(おんぐう)
- 恩恵(おんけい)
- 恩眷(おんけん) / 恩顧・恩眄
- 恩顧(おんこ) / 恩眷・恩眄
- 恩光(おんこう)
- 恩好(おんこう)
- 恩幸(おんこう。恩倖)
- 恩降(おんこう) / 恩赦
- 恩旨(おんし)
- 恩私(おんし)
- 恩師(おんし)
- 恩賜(おんし)
- 恩赦(おんしゃ)
- 恩借(おんしゃく)
- 恩錫(おんしゃく)
- 恩讐(おんしゅう)
- 恩讎(おんしゅう) / 恩仇
- 恩恤(おんじゅつ)
- 恩賞(おんしょう)
- 恩詔(おんしょう、おんじょう) / 恩綸
- 恩情(おんじょう)
- 恩人(おんじん)
- 恩貸(おんたい)
- 恩沢(おんたく)
- 恩地(おんち) / 恩領
- 恩寵(おんちょう)
- 恩典(おんてん)
- 恩田(おんでん)
- 恩徳(おんとく)
- 恩波(おんぱ)
- 恩比(おんひ)
- 恩物(おんぶつ)
- 恩眄(おんべん) / 恩顧・恩眷
- 恩命(おんめい)
- 恩宥(おんゆう)
- 恩養(おんよう)
- 恩領(おんりょう) / 恩地
- 恩綸(おんりん) / 恩詔
- 恩頼(おんらい。恩賚)
- 恩賚(おんらい。みたまのふゆ。恩頼)
- 恩礼(おんれい)
- 恩禄(おんろく)
- 感恩(かんおん)
- 旧恩(きゅうおん)
- 君恩(くんおん)
- 御恩(ごおん)
- 厚恩(こうおん)
- 高恩(こうおん)
- 皇恩(こうおん)
- 洪恩(こうおん) / 鴻恩
- 鴻恩(こうおん) / 洪恩
- 国恩(こくおん)
- 四恩(しおん)
- 私恩(しおん)
- 師恩(しおん)
- 慈恩(じおん)
- 謝恩(しゃおん)
- 主恩(しゅおん)
- 殊恩(しゅおん)
- 重恩(じゅうおん)
- 新恩(しんおん)
- 仁恩(じんおん)
- 聖恩(せいおん)
- 大恩(だいおん)
- 朝恩(ちょうおん)
- 天恩(てんおん)
- 仏恩(ぶつおん)
- 法恩(ほうおん)
- 芳恩(ほうおん)
- 報恩(ほうおん)
- 忘恩(ぼうおん) / 恩知らず・恩盗人
恩
恩 |
「恩」の例文・使い方・用例・文例
- 政治犯に恩赦を行う
- 新しい病院ができて私たちはおおいに恩恵を受けた
- 私は恩師と会う約束がある
- 彼には恩がある
- 彼に恩返しをしたいのです
- 私は戦争の痛みも平和の恩恵も知っている
- 父親の栄誉の恩恵にあずかる
- 好意による行い,恩典
- 神の恩寵に浴して死ぬ
- ぶつかってきた男はたまたま私の恩師でした
- 原子力エネルギーの発見が恩恵と大きな不幸をもたらした
- 大恩に報いる
- 牧師は群衆に向かって神の恩寵について説教した
- 彼の忠告を無視するなんて君は恩知らずだ
- サービスの恩恵を多くの人々が受ける
- 慈善協会に参加すると精神的恩恵を受けられる。
- あなたがそんなに恩知らずだとは知らなかった。
- 恩知らずな態度を取る
- 彼はとても失礼で、彼の忘恩に私は失望した。
- 彼に何か恩返しをしたい。
*恩と同じ種類の言葉
- >> 「*恩」を含む用語の索引
- *恩のページへのリンク