高性能通勤電車と通勤形気動車の登場
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「通勤形車両 (鉄道)」の記事における「高性能通勤電車と通勤形気動車の登場」の解説
国鉄の高性能通勤電車は101系から始まった。同系列は全電動車方式で、高加・減速、高速走行を目指したが、金銭的・技術的な問題から6M4Tの編成を組まざるを得なくなり、構想は挫折した。その後はモーター出力を上げ、MT比1:1を基準とする103系に移行し、この系列が国鉄の標準車両となってゆく。 乗客の乗り心地の向上についても考えられるようになり、101系では車内に扇風機が標準装備され、クハ79後期型にあった乗務員室への通風装置も取り付けられた。多段制御や空気バネ台車も試験され、前者は103系1000番台で、後者は301系で実用化されている。301系は営団地下鉄東西線乗り入れ専用の車両で、アルミ車体、シールドビーム窓下2灯、ユニット窓など、当時の国鉄通勤形では初の試みばかりの意欲的な車両だったが、製造コストが高かったため、増備は56両のみで終わり、その後の新造は103系に戻された。ただし、103系でも中期車以降はシールドビームが採用され、ユニット窓も取り入れられている。また、踏切障害事故対策として運転台の高さを高くした先頭車も出現している。 同時期、大都市圏の非電化線区における通勤輸送用に国鉄初の通勤形気動車として外吊りドアを採用したキハ35系も製造された。キハ35系には押し込み式通風器を装備した寒地向けの500番台や、ステンレス車体の試作車900番台なども存在した。 103系の構造は通勤用車両としては上出来なもので、私鉄各社も全電動車方式からMT1:1方式へ転換を進め、その後の主流となっていった。ただし、一部の路線では「駅間が極端に短い」や「ダイヤが過密すぎる」、「山岳区間も走行する必要がある」などの理由で加速に重点を置いた全電動車方式の車両を製造し続けた。これは、T車を連結しても十分な加速力を発揮できるモーターが開発される1980年代頃まで存在したが、現在では京阪電気鉄道の800系、阪神電気鉄道の5500系、南海電気鉄道の2000系など少数が残る。 また、この時期に大手私鉄以外にも一部の中小私鉄が新性能通勤電車を投入している。特筆される車両としては、1958年に登場し、地方私鉄における新性能通勤電車の先達となった伊予鉄道の600系や、自社長沼工場で内製された静岡鉄道のクモハ100形(1961年登場)、そして20m車体と片側4箇所の乗降扉を持つ本格的な通勤形電車として登場した長野電鉄のOSカー(Officemen&Students Car)(1966年登場)が挙げられる。 それまで、通勤電車の冷房化は扉数が多いこと、扉開閉頻度の高さから効果が疑問視され、名古屋鉄道の5500系など、前述の条件がある程度緩いかつ優等列車での使用が中心だった車両に限られていた。しかし、1960年代末期になると、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)の初代5000系に端を発したロングシート通勤車両の冷房化が首都圏・関西圏の大手私鉄から順次開始され、103系も中期以降になると冷房装置を搭載して新製されるようになるとともに、既存車への搭載改造も行われるようになり、室内環境はさらに改善が進むことになる。 国鉄101系 国鉄103系 国鉄103系(高運転台車) アルミ車体を導入した国鉄301系 伊予鉄道600系 長野電鉄0系 静岡鉄道クモハ100形(譲渡後の姿) 京王帝都電鉄5000系(初代)
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