高性能電車の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 15:22 UTC 版)
戦前の高速電車は大馬力モーターを吊り掛け式に装備するもので、スピードは速いが力行時の騒音や微振動が大きく長距離優等列車には不適切と考えられていた。1950年に完成した湘南型と呼ばれた80系電車も同じ構造であるが、加速性・高速性に優れ、乗降デッキを備えて一応の快適性を持たせ、ブレーキの改良で16両編成運転を実現し、電車による長距離運転の定着に貢献した。 そのころ、アメリカで新しい電車の開発が進んでいた。これは小型高速モーターをカルダン式に装備し、ブレーキにはモーターを発電機として使用する発電ブレーキを空気ブレーキと同期動作させるものである。日本においてこのシステムを本格導入した電車の第1号は1954年に完成した営団地下鉄の300形電車で、真っ赤な車体に銀のサインカーブをあしらった白帯を巻き、3つの両開きドアを並べた斬新な意匠の車体であった。優等列車としては1957年に登場した小田急SE車(3000形電車)が中空軸平行カルダン方式と連接構造の軽量車体の採用により、スピードと乗り心地の両方ともに優れた画期的な電車となった。この電車は完成直後の9月に国鉄の函南駅と沼津駅の間の試験走行で、当時狭軌最高速となる145 km/hを記録した。翌年登場した151系電車は国鉄初の電車特急「こだま」に使用されたが、台車に空気ばねを採用、複層窓と浮き床構造により騒音振動をシャットアウトし、全列車完全冷暖房による快適な旅行を提供した。この電車は1959年7月に藤枝駅と島田駅間の高速運転テストで最高速度163 km/hを記録した。この記録は電車による高速運転の可能性を広げ、将来の新幹線運転に繋がるデータであった。
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