駐ソ大使時代とは? わかりやすく解説

駐ソ大使時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 04:03 UTC 版)

佐藤尚武」の記事における「駐ソ大使時代」の解説

ソ連大使任命は、日本にとって戦局悪化する中で、日ソ中立条約締結していたソビエト連邦との中立維持がその最大目的であった佐藤中立条約締結時に当時松岡外相約束していた北樺太石油石炭利権移譲、および日ソ漁業条約更新1944年昭和19年3月調印にこぎ着けた。また、日本からは仲介による独ソ和平向けた交渉要請され佐藤はそれに従ったものの、イデオロギーなどで全面的に対立する両国和平応じ見込みはないという電報外務省宛に送っている。独ソ和平消極的な佐藤態度対し日本国内では陸軍から佐藤更迭論まで出たが、重光葵外相交代反対し、廣田弘毅元首相特使として派遣できるようソ連交渉して陸軍なだめることになった佐藤はこれに基づいて1944年9月ヴャチェスラフ・モロトフ外務人民委員特使派遣申し入れたが、「特使派遣何を目的とするか疑問である」という理由拒絶された。だが、その後重光からは陸軍意を受ける形で、日ソ関係強化と独ソ和平仲介への交渉求められそのたび佐藤は「中立関係の維持そのもの問題になりつつある」と否定的な返答繰り返したこうした日本から寄せられる日ソ関係改善論」について、戦後佐藤は「かつて軟弱といわれた自分上の軟弱外交ではないか」と「せせら笑った」と回想している。 それだけに、条約期限1年前までとされた中立条約廃棄通告期限1945年4月25日)が近づく心中穏やかではなく期日をやり過ごして自動延長待ちたい神頼みするほどであった。だが、4月5日モロトフ会見した佐藤その場条約1年後廃棄通告される。これを受けて佐藤日本送った電報では、ソ連狙い米英好意を得るためのジェスチャー対日参戦への決意固めたものではない、このジェスチャー米英にとってはむしろ迷惑に感じて米英ソ連摩擦増大する可能性もあると記した同時に佐藤は「もしもヤルタ会談決定した上で廃棄通告出されたものだとすれば自分観察根底から覆ることになる」と別の可能性にも触れていたが、「問題そこまで深刻ではない」とこれを軽視することになった1945年5月ドイツ敗戦後日本国内ではソ連通じた無条件降伏ではない和平」の仲介求め動き起きる。佐藤は既に戦争大勢決まった以上、ソ連仲介役に立つ可能性少ないと判断して早期終戦促す機密電報東京本省送っている。7月昭和天皇意向近衛文麿和平交渉特使としてモスクワ派遣することが決まると、7月12日東郷茂徳外務大臣佐藤に対して特使派遣モロトフ申し入れるよう訓令した。だが、モロトフとはポツダム会議準備という理由で会うことはできず、外務人民委員代理ソロモン・ロゾフスキー依頼伝えている。佐藤東郷外相指示に従って行動したが、ここでも本に対して具体的な条件欠いた特使派遣依頼ではソ連を動かすことはできないとして、無条件降伏に近い和平しかないという電報送った佐藤7月18日にロゾフスキーから「天皇メッセージ具体提議がないこと、特使使命不明確であること」を理由特使拒絶する回答を受ける。佐藤東郷指示再度特使派遣ソ連側申し入れる一方ポツダム宣言直前1945年7月20日東郷当てた長文電報では、「すでに抗戦力を失ひたる将兵および我が国民が全部戦死遂げたりとも、ために社稷は救はるべくもあらず。七千万民草枯れて上(引用者注:天皇御一人安泰たるを得べきや。(中略過去惰性にて抵抗続けおる現状速やかに終止し、以て国家滅亡一歩手前にてこれをくい止め、七千万同胞塗炭の苦しみ救い民族生存保持せんことをのみ念願す」と早期に「皇室維持」のみを条件とした無条件降伏に近い講和を結ぶように要求していた。 佐藤日本からの和平交渉特使派遣回答モロトフ求めていたが、ようやく8月8日実現したクレムリンでの会見の席で、モロトフから対日宣戦布告通知されることになった佐藤戦後貴重な一カ月空費した事は承服できない」と語っている。

※この「駐ソ大使時代」の解説は、「佐藤尚武」の解説の一部です。
「駐ソ大使時代」を含む「佐藤尚武」の記事については、「佐藤尚武」の概要を参照ください。

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