駐ドイツ大使への就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 14:40 UTC 版)
「リチャード・ホルブルック」の記事における「駐ドイツ大使への就任」の解説
1993年、前年の大統領選挙で現職のジョージ・H・W・ブッシュを破ったビル・クリントンが大統領に就任すると、選挙戦でクリントン陣営のアドバイザーを務め、外交経験も豊富なホルブルックにも外交ポストが割り当てられるのではないかと予想された。当初は、そのアジア外交における長年の経験と深い知識を買われ、駐日大使への任命が予定されていたが、駐日大使にはモンデール元副大統領が任命され、ホルブルックには予想外ともいえる駐ドイツ大使のポストが割り当てられた。 この時の経緯については、デイヴィッド・ハルバースタムが著書『静かなる戦争』の記述の中で詳細に取り上げている。それによればホルブルックは当初、国務長官候補に挙がったとされているが、人選担当者から「圧倒的な行動力と知性を持つが、『自己中心的』という点でも飛び抜けている」 など(詳細は後述)、才能を評価しつつも人格・性格面での欠点を懸念する声があったことに加え、 クリントンの下で政権移行チームに加わっていたウォーレン・クリストファーやアンソニー・レイクらが彼を政権の高位ポストに就けたがらなかったこともあって、ホルブルックの国務長官や副長官、さらには次官に就任する道は閉ざされたとされている。そこで、彼のアジア外交における長年の経験と深い知識を生かすことの出来る駐日大使のポストに就けることが検討されたが、当初は駐ロシア大使に内定していたモンデールが、芸術に関心の深いジョアン夫人の意見もあって駐日大使を希望するようになったため、ホルブルックは一時何のポストにも就けない可能性すらあったという。しかし、クリントンとホルブルックの共通の友人で、のちに国務副長官としてクリントン政権入りを果たすことになるストローブ・タルボットらの強力なプッシュにより、結果的に残っていたポストの1つである駐ドイツ大使が割り当てられたとされている。 ホルブルックがドイツ大使を務めた時期は、ちょうど東西ドイツ統一から数年後のことであり、彼も大使として新生ドイツとアメリカの関係構築に取り組んだ。彼のドイツ大使在任中におけるハイライトとなったのは、1994年7月のクリントン大統領の訪独(ベルリン訪問)である。この時は、数千人ものドイツ市民が沿道を埋め尽くして訪問を歓迎するなどクリントンの訪独は成功裏に終わり、ホルブルックは訪問成功の立役者の1人となった。また彼はドイツ駐在中、対ドイツ政策以外にもアメリカのNATO拡大促進政策やボスニア内戦への対応など、クリントン政権の外交政策決定において重要な役割を担った。
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