駐コロンビア・ドミニカ大使館占拠事件
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「4月19日運動」の記事における「駐コロンビア・ドミニカ大使館占拠事件」の解説
1980年2月27日、M-19コマンド17名(うち1名は警察との銃撃戦で死亡)が独立記念日の祝賀パーティーが開かれていたボゴタのドミニカ共和国大使館を襲撃・占拠し、アメリカやエジプトなど14ヵ国の大使ら52人を人質に政治犯の釈放を要求。この事件は1975年8月4日に日本赤軍がマレーシア・クアラルンプールの米国・スウェーデン両大使館を占拠、あさま山荘事件で逮捕されていた獄中同志らの釈放を要求し日本政府が超法規的措置で応じたクアラルンプール事件を参考にしたと言われ、当初はボゴタの日本大使館を占拠する予定だったが、当時の日本大使館は高層ビルの最上階にあり、長期の籠城には不向きと判断、平屋建てのドミニカ大使館に変更したとされる(当時の在コロンビア日本大使はパーティーに出席せず難を免れた)。発生から61日後の4月27日、コロンビア政府が身代金の支払いなど要求の一部に応じ、犯行グループはキューバに出国し無血解決した。また、1996年12月17日に発生した在ペルー日本大使公邸占拠事件は犯行グループのトゥパク・アマル革命運動(MRTA)がM-19のドミニカ大使館占拠事件を参考にしたと言われる。かつてM-19とMRTAは共闘関係にあり、MRTAはM-19のような合法化(後述)を狙っていたとされる。
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