駐カイロ - 駐北京時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 17:43 UTC 版)
「クロード・マクドナルド」の記事における「駐カイロ - 駐北京時代」の解説
1882年にエジプトでウラービー革命が起きると、陸軍省の代表としてカイロに派遣されている。同時期にエジプト特別委員として赴任してきたダファリン伯爵の軍事顧問に就任し、革命後はエジプト人士官の軍法会議に臨み、厳しい態度で審理を行った。その後はイギリスの保護領であったザンジバル島総領事やオイル・リヴァーズ総領事を務めた。 陸軍を退役後、1895年に第3次ソールズベリー侯爵内閣より北京駐在公使に選任されて、1900年までその任にあった。マクドナルドには東アジアでの外交官経験はなかったが、カイロ駐在時代にエジプト総領事クローマー卿に高く評価され、続くアフリカ駐在時にも首相ソールズベリー侯から評価されていたためと考えられている。 1900年に義和団の乱が発生した。この際に各国の在北京公使館が包囲されたが、軍隊経験のあったマクドナルドは日本公使館の駐在武官柴五郎中佐らと協力体制を築き、篭城戦の指揮を執ってこの難局を切り抜けた。
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