題字と地紋など
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毎日新聞社・旧社章(同社ホーロー看板より、1897年~1991年) 毎日新聞社・社章(同社ホーロー看板より、1991年~) 『東京日日新聞』や『日本立憲政党新聞』、『大阪日報』、『大阪毎日新聞』とも創刊以来幾たびとも題字と地紋に変更があった。『東京日日新聞』の題字の変遷1872年(明治5年)2月21日の創刊号から同年3月1日までは右横書き篆書の袋文字で飛雲模様が入り、「東亰日日新聞」(「日日」は籀文で、くにがまえに烏とくにがまえに正、「新」も異体字で偏が「立+未」)篆書は当時の書の名人であった謙堂が揮毫したもので、その文字の飛雲模様を落合幾次郎が付けた。 1872年3月2日より同年6月29日までは明朝体の右横書きで「東京日日新聞」 1872年7月2日より1873年2月28日までは縦書き楷書で「東京日=新聞」(「=」は繰り返し文字) 1873年3月2日より翌3日までの2日間は楷書で右横書き「官許」以下縦書きで「東京日=新聞」 1873年3月7日より6月12日までは同じく右横書き「官許」以下縦書きで「東亰日=新聞」であるものの、書体が隷書になる。(「新」の偏は「立+未」) 1873年6月15日から1874年6月4日まで右横書き「官許」以下縦書きで「東京日々新聞」となり、書体が明朝体に変更。 1874年6月5日からは上部の「官許」が抜け、11月30日まで縦書き明朝体で「東京日々新聞」 1874年12月2日以降は右横書き筆文字で「聞新日日亰東」(「新」の偏は「立+未」)福地源一郎が揮毫した。 明治30年代後半に時期不詳ながら縦書きになり「東亰日日新聞」(聞のもんがまえは「门」)。同じく福地源一郎が揮毫したもの。 1911年3月1日にそれまで無地だった地紋に横線と桜花が入る。これは大阪毎日新聞の経営に移ったためで、同社が東京で発行していた『毎日電報』から承継したもの。(大正中頃まで「大阪毎日新聞社経営」「毎日電報合同」の明朝体活字が右肩に入る。その後の昭和初期頃に、時期不詳ながら題字と地紋が一部補正される。) 1936年12月25日、題字の右肩に縦書きで「時事新報合同」の文字が入る。翌12月26日から題字の下に黒地に白抜きの右書きで『時事新報』の題字が小さく入り、その下に右書きゴシック体活字で「合同」と記されるようになる。 『毎日新聞』の題字の変遷1943年1月1日、それまで大阪毎日新聞で用いられていた題字のうち、上部右横書き「大阪」を取ったものを全国で使用。地紋は東京日日新聞が使用していた「横線に桜花」を採用した。題字の下に四角で囲まれた右横書き「東京」「大阪」「西部」の文字が発行所ごとに入る。東京本社発行分だけ更に題字の上に四角で囲った「東亰日日改題」の右書き題字が追加された。 1944年1月1日、東京本社発行分の「東亰日日改題」の右書き題字がなくなる。 1944年4月30日、題字の下に四角で囲まれた右横書き「東京」「大阪」「西部」の文字を打ち切る。 1945年10月2日、発行所を毎日新聞社から毎日新聞社(東京)(大阪)(西部)に変更する。 1948年5月1日、地紋を横線に梅花を配したもの(大阪毎日新聞が1889年7月11日から1942年12月31日まで使用していたもの)に変更。書体も一部補正する。(1954年頃に地紋を一部補正。) 1978年1月1日、「新」の字の偏を「立+未」から「立+木」に改める。 1991年11月5日、題字が青の正方形になり、地紋は青一色となり白抜き明朝体で右から「毎日」、「新聞」と縦書きになる。上部には毎日新聞社の新社章「毎日の目」が左右に配され、その中を「MAINICHI」とローマ字が入る。なおこの頃から、みどりの日(当初4月29日→2008年より5月4日)に限り、題字のカラーを緑色にしている。 2007年12月10日、J字使用に伴うレイアウト変更で、題字は同一デザインながら一回り小さくなる。 2021年7月4日、日曜日発行の朝刊のみレイアウトをリニューアル。題字を横書きとし、青色の「毎日の目」が左右に配されその中に黒色で明朝体の「毎日新聞」、その下に「MAINICHI」と書かれ、右端に発行年月日、その下段に筆記体で「Sunday」と書かれる。 社旗は『東京日日新聞』が「東」の字を六芒星に象り、その中央に「京」の字を象った白抜きに「日日」の字を円形に配したマークを中心に、赤の二本帯線を背後に引いた意匠であり、『大阪毎日新聞』は「大」の字を星形にかたどり、その中央に「毎」の字を丸で囲んだものを配したマークを中心に、赤の二本帯線を背後に引いた意匠であった。二本帯線は雲を表し、星は文化の明星を表すとされた。このうち大毎マークは1897年3月31日に制定されたもので、1943年1月1日の社名変更以降もそのまま使用した。 社章は上記大毎マークの他、アルファベットの「O」と「M」を組み合わせた意匠も併用していた。 1991年(平成3年)11月5日に社旗、社章を一新してCIを導入。青地に白線を横一線に引いて上下に分け、上部は毎日新聞の新社章「毎日の目」を白抜きで左右に配し、その中を「MAINICHI」と白抜き明朝体のローマ字が入り、下部は白抜き明朝体の横書きで「毎日新聞」と書かれたものになった。
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