題字を書いた主な著名人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 17:19 UTC 版)
「内村プロデュース」の記事における「題字を書いた主な著名人」の解説
番組の恒例行事のひとつに、有名人による題字の揮毫がある。これは、内Pの前番組『リングの魂』の題字を空手家の大山倍達が書したことに由来し、6年間続いた『リン魂』を超える長寿番組にしたいという気持ちが込められている。歴代の題字は下記の通り。意図的に「ュ」を削除した4代目を除けば番組名が正しく表記できているのは初代のみである。また、それぞれのタイトルバックは映画好きの内村にちなみ、有名映画配給会社のパロディになっている。 初代:春一番 (#1:2000年4月8日 - #36:2001年1月13日)「内村プロデュース (春一番)」第1回目の放送で、当時のテレビ朝日東陽町放送センター(2004年9月に閉鎖)の玄関に最初に入ってきた有名人に題字を依頼する企画を実施。当日は「ミュージックステーション」の収録日で大物歌手・タレントを狙える状況であり、実際に一旦はタモリが通りかかったものの、タモリは目的地は通らず。その直後にお笑い芸人の春一番が最初にやって来てしまい、内村にとって非常に残念な結果となった。泣く泣く春に依頼したものの、タイトルより署名の方が大きく書かれてしまっている。バックはユニヴァーサル映画のパロディ。 2代目:ジャン・レノ (#37:2001年1月20日 - #90:2002年4月11日)「内村プロデョーヌ (春ヘ番)Jean Reno」春一番の題字を手本に揮毫。これが後に発足する「劇団プロデョーヌ」の名称にもつながった。バックは20世紀フォックスのパロディ。 3代目:イアン・ソープ (#91:2002年4月18日 - 85ミニッツスペシャル:同9月30日)「内村プロヂョレマ (春ヘ一米田)Jean Reno Ian Thorpe」ジャン・レノの題字が手本。あたかも伝言ゲームのように、だんだんと原型が崩れていった。バックは2代目に引き続き20世紀フォックスのパロディ。 11時台進出後しばらくの間、#3より画面右下に表示されるようになった、ウォーターマークのタイトルロゴが使用される(#114:2002年10月7日 - #124:2003年1月6日)。 4代目:ニセ松井秀喜(はなわ)・ニセ清原和博(リトル清原) (#125:2003年1月13日 - #158:同10月20日)「内村プロデース 松丼 晴原」開運アドバイザー・安斎勝洋の姓名判断により、24画が縁起が良いということで「ュ」がなくなった。初代題字の企画を踏襲し、テレビ朝日・アーク放送センターに5番目(ラッキーナンバー)にやってきた有名人に依頼した。バックはパラマウント映画のパロディ。 5代目:クエンティン・タランティーノ (#159:2003年10月27日 - #218:2005年4月18日)「内林プロデユース Quentin Tarantino」(本人の似顔絵入り)「キル・ビル Vol.1」のプロモーションを兼ねた「キル・ビル2」の出演者オーディション企画で特別出演。バックはコロムビア映画のパロディ。 6代目:リチャード・ギア (#219:2005年4月25日 - )「内村プロデコーヌ R.G. シナル・ウイダソス?」ハリウッド版『Shall We Dance』のプロモーションで来日中に依頼。サングラスをかけていた内村が部屋に入るなり、リチャードにサングラスを外せと怒られる場面も。この日はふかわりょうしか時間が空いていなかった為にふかわを通訳として連れて行くが、緊張の為終始内村の隣で固まってほとんど喋れず。ふかわは一応通訳を試みようとしたものの、あえなくリチャードに「クビ」にされた。バックはメトロ・ゴールドウィン・メイヤー (Metro Goldwyn Mayer Inc.) のパロディ。 ちなみに、2005年10月23日に放映された『内村プロジェクト』のタイトルロゴは東映のパロディ。
※この「題字を書いた主な著名人」の解説は、「内村プロデュース」の解説の一部です。
「題字を書いた主な著名人」を含む「内村プロデュース」の記事については、「内村プロデュース」の概要を参照ください。
- 題字を書いた主な著名人のページへのリンク