鉄道省設置後とは? わかりやすく解説

鉄道省設置後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 16:01 UTC 版)

鉄道省」の記事における「鉄道省設置後」の解説

1920年5月15日鉄道省官制」(勅令140号)に基づいて設置された。初代大臣元田肇中央大臣官房監督運輸建設工務工作経理の6局、地方鉄道管理局改組した鉄道局教習所改良建設事務所鉄道病院設置された。 発足当初は、立憲政友会による省幹部大量更迭など、当時端緒についたばかりの政党内閣との間で鉄道敷設利権絡んだ混乱見られ社会批判浴びた が、のち国内経済の発展に伴う交通需要増大を受け、昭和初期にかけて国鉄私鉄はじめとする陸上交通全般近代化推進する母体となった鉄道局は、鉄道院鉄道管理局継承した札幌仙台東京名古屋神戸1928年5月大阪鉄道局に改称し大阪移転)、門司の6局体制スタートした。また欧米比べ立ち遅れ指摘されいた電化を推進するため、1921年電気局を設置し各地省営発電所新設した。1928年からは逓信省扱っていた自動車などの他の陸上交通部門管轄した。一方満鉄鉄道事業に関する監督権1929年拓務省移された。 1927年には、貨物輸送需要増大する中、複雑な運賃制度小規模運送事業者乱立混乱招いていた小口貨物業界対策として、取り扱い鉄道省直営として鉄道民間運送業者が協調して運送することとし各地鉄道局運送店・商関係者参加した運輸委員会」を全国37か所に設置した。この仕組み鉄道利用運送事業通運事業)のもととなった。 このほか、鉄道利用しやすくするために運送規則旅客運賃割引制度柔軟化 したり、いわゆる戸口から戸口へ」方式の宅扱貨物の取り扱い始める など、制度近代化サービス拡充取り組んだ。また国際的な旅客需要喚起しようと、1930年には外局として国際観光局設置された。 鉄道網整備合わせて鉄道院時代から再三政治の場で論議されてきた鉄道局新設行われた1935年広島大阪門司から分離)、1936年新潟仙台東京から分離)の両鉄道局開設。さらに1943年には樺太鉄道局樺太庁鉄道から編入)が発足した。 しかし次第戦時色濃くなると、鉄道省組織大きく影響受けた1935年には全国運輸委員会が、軍部参加した鉄道局別の交通協議会」に改組され、各地方陸上輸送統制組織変わった1938年には満州国鉄総局朝鮮鉄道局と関係鉄道会社および船舶会社とともに「内鮮満支貨物連絡運送規定」を制定し朝鮮半島大陸との輸送体強化図った。さらに1941年には戦時体制強化伴って需品局を設置した1942年には、政府行政簡素化方針にもとづく官庁機構整備前に大規模な組織統合行った本省機構総務要員監理業務施設資材の6局体制縮小したほか、地方組織についても大幅に変更した3月14日鉄道技術研究所設立された(勅令)。 さらに1943年11月1日戦時体制に伴う官庁統廃合一環として逓信省合併し運輸通信省改組された。

※この「鉄道省設置後」の解説は、「鉄道省」の解説の一部です。
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