鉄刀銘文とは? わかりやすく解説

鉄刀銘文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 07:51 UTC 版)

岡田山古墳」の記事における「鉄刀銘文」の解説

1915年大正4年)に発掘され1号墳出土品1つであった円頭大刀その後刀身先端部分破損し1983年昭和58年になって元興寺文化財研究所保存処理を行うことになったその際X線をあてたところ、銀象嵌銘文見出された。現在確認される部分12文字だけであり、「各田卩臣」(額田部臣)の他数文字確認できるだけで、他は解読不能もしくは困難で文章全容解読するには至っていない。また、破損部分にも文字記載されていた可能性もある。額田部臣は『出雲国風土記』にも登場する豪族で、氏の記載としては隅田八幡神社人物画像鏡次に古く、部姓の記載され事物としては日本最古にあたる。 銘文以下の通り、 各田卩臣□□□□□大利解読不能もしくは困難になっている□については、9文字目は「素」とみられる。5文字目は「令」説と「今」説、6文字目は「阿」説と「河」説がある。

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鉄刀銘文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 21:29 UTC 版)

江田船山古墳」の記事における「鉄刀銘文」の解説

出土品のうち銀錯銘大刀(ぎんさくめいたち)と呼ばれる直刀には以下の75字の銘文がある。なお、「〓」は損傷により判読不可能な文字であることを示す。 台(治)天下獲〓〓〓鹵大王世、奉事典人名无〓(利ヵ)弖、八月中、用大鉄釜 并四尺廷刀、八十練、〓(九ヵ)十振、三寸上好〓(利ヵ)刀、服此刀者、長寿子孫洋々、得〓恩也、不失其所統、作刀者名伊太〓(和)、書者張安也(読み東野治之による) この銘文読み方内容意義等については鉄剣・鉄刀銘文の項目を参照大刀刀身平地には片面に花と馬、片面が銀象嵌表され上記銘文は棟の部分に銀象嵌表されている。銘文にある「獲〓〓〓鹵大王」は、獲を「(たじひ)」、鹵を「歯」と読んで反正天皇 多遅比瑞歯別尊(たじひのみずはわけのみこと)(日本書紀)または別命古事記)と長い間推定されてきたが、埼玉県行田市稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣に、1978年に「獲加多支鹵大王」という文字発見されたことから、この文言は「ワカタケル大王」と読むことが分かったワカタケル大王は、雄略天皇比定されている。この東西日本古墳から同じ王名記した刀剣出土したことは、ヤマト王権支配広域及んでいたことを示す。 被葬者のムリテ(无〓(利ヵ)弖:无利弖)は雄略宮廷役所勤務する文官「典曹人(てんそうじん)」として仕えたまた、東国稲荷山古墳被葬者ヲワケは宮廷親衛隊長「杖刀人首(じょうとうじんのかしら)」として仕えた5世紀中葉以降ヤマト政権は、各地域社会から出身大・中小首長達を宮廷出仕させ、王権直接掌握し、倭社会統治していたことが考えられる。 なお、金錯銘鉄剣銘文両刃剣の側面幅広い部分大きく彫られているが、銀象嵌銘大刀銘文片刃刀の幅の狭い峰(背)の部分彫られている。金錯銘鉄剣比べて判読不明な字が多いことの一因である。大正末期日本刀研師により研磨されたために象嵌失われた考えられている。

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