野上八幡宮
野上八幡宮
野上八幡宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/28 03:35 UTC 版)
野上八幡宮は天文年中(1532-55)に備後地方の有力豪族である杉原盛重により常興寺山(現在の福山城)に造営されたとされる。福山城築城に際して城下の南西である野上(現在の野上町)に移され「野上」の名称の由来となったといわれる。なお、遷座される以前の名称は分かっていないが、常興寺山に祀られる以前は野上町にあったとの伝承もあり、元々野上の名称であったともいわれるが(つまり野上→常興寺山→野上と移転したことになる)、若宮八幡宮の別名もあることから、これが旧称であった可能性も考えられる。何れにしろ、確たる由来は不明である。以後、水野家の庇護を受け藩士たちの氏神として崇められていたが、4代藩主・水野勝種が天和3年(1683年)に城下南東の延広八幡宮と共に吉津川北岸に移転され「西の宮」と一般に呼ばれるようになった。
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