両社八幡宮
両社八幡宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/28 03:35 UTC 版)
4代藩主・水野勝種は天和3年(1683年)に城下南東の延広八幡宮と城下南西の野上八幡宮を筆頭家老上田玄蕃下屋敷であった吉津川北岸の松廼尾山に移転させた。本宮は福山城天守を南に望む小山の山頂に同じ形式・規模で並べて建てられ、隣接した位置に設置されたが両社の間は福山藩初代藩主である水野勝成を祀る聡敏神社が鎮座し、参道も東西それぞれに専用のものが設けられた。このように藩士と町人の氏神が対等に並べられたことは、水野家の統治政策を象徴している。以後、2つの神社は両社八幡宮と呼ばれることになった。
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