遠征隊の編成
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308名のうち約20名が医療関係者(医師、看護婦)で残りは補給連隊T1、T3とT4からの志願者。指揮官はスウェーデン補給部隊の総監ゴットフリート・ビョルク(Gottfrid Björck)大佐。 救護用バス:36台 トラック:19台 乗用車:7台 オートバイ:7台 牽引トラック、修理用トラックと野外炊飯車 ドイツに入国したら入手できない全ての必需品(食料、燃料、補修部品) 輸送船の「リリー・マティエッセン」(Lillie Matthiessen)が 350トンの燃料と収容者のために6,000個の食料品の包みを搭載してリューベックへ出航し、後で「マグダレーナ」(Magdalena)もこれに続いた。両船共に(the Salèn shipping line)から提供された。 遠征隊は3つのバス小隊(各々12台のバス)、1つのトラック小隊(12台のトラック)と1つの輸送小隊に分けられた。遠征隊は、長距離輸送で1,000名分、トラックも使用した短距離輸送であれば1,200名分の総輸送能力を有していた。 バスは8床の担架または30名を乗車させることができ、Motyl燃料(50%のガソリンと50%のアルコールの混合)を使用して0.5 L/kmの燃料消費率で燃料タンクを満載にすれば100 kmを走行できた。各バスには2名の運転手が割り当てられた。 新聞による周知を避けてスウェーデン国家情報局(the Swedish state information bureau)は、所謂「報道管制」("grey notices")を発布し、記者たちは遠征隊の記事を書かないように指導された。 ストックホルムのデンマーク大使は、より大規模な(バス40台、トラック30台、救急車18台とその他の車輌)遠征隊を申し出た。フォルケ・ベルナドッテも当初はスウェーデン=デンマーク連合遠征隊について考えすらしていたが、この申し出は2月23日にドイツ側が遠征隊はスウェーデンのものでなければならず、さもなくばドイツはデンマークとノルウェーに総攻撃を掛けるという要求を出してきたことで取り下げられた。
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遠征隊の編成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 05:05 UTC 版)
1782年5月20日、オハイオ川のインディアン領土側にあるミンゴボトム(現在のオハイオ州ミンゴジャンクション)の集合地点に志願兵達が集まり始めた。彼らは大半がアイルランド系とスコットランド・アイルランド系の若者であり、主にペンシルベニアのワシントン郡とウェストモアランド郡の出身だった。多くの者は大陸軍の古参兵だった 。この遠征隊に参加した兵士の正確な人数は不明である。ある士官が5月24日にアービンに宛てて送った書類では480名の志願兵がいると記されていたが、その後他にも参加した者がおり、総勢は500名以上になった。この部隊に与えられた任務は気の進まない性格のものだったので、志願兵の多くは出発前に「遺言状」を作成した。 この遠征は志願により、正規軍の作戦行動ではなかったので、兵士達がその士官を選出した。司令官となる候補者はグナーデンヒュッテン遠征を指揮した民兵大佐のデイビッド・ウィリアムソンと、一度は退役した大陸軍大佐のウィリアム・クロウフォードだった。クロウフォードはワシントンの友人で土地管理人であり、経験を積んだ軍人であり、フロンティアの経験があった。この種の作戦でもベテランであり、1774年のダンモアの戦争のときはミンゴ族集落2つを破壊していた。また失敗した「女々しい攻撃隊」にも参加していた。 50歳のクロウフォードは志願することを躊躇したが、アービン将軍の要請に応じることにした。ウィリアムソンは民兵の間で人気があったが、グナーデンヒュッテンの虐殺を許したためにアービンのような正規軍士官の覚えが悪かった。アービンは以前の遠征の失敗をさけるために、指揮官としてクロウフォードが選ばれるのを好むと明らかにした。激戦となった選挙は僅差となった。クロウフォードが235票、ウィリアムソンが230票だった。クロウフォード大佐が指揮官となり、ウィリアムソンは少佐の資格で副指揮官となった。その他少佐となったのはジョン・マクレランド、トマス・カッディス、およびジェイムズ・ブレントンとジョセフ・ブリントンのどちらかだった。 クロウフォードの要請により、アービンは大陸軍士官であるジョン・ナイト博士を軍医として遠征に同行させることを認めた。その他アービンの参謀から志願した者として、自身をジョン・ローズと呼ぶ貴族的な物腰の外国人がいた。ローズはクロウフォードの副官になることを求めた。アービン将軍も数年後まで知らなかったことだが、このローズはロシア帝国のバルト・ドイツ人貴族、グスターヴ・ローゼンタール男爵であり、決闘で人を殺したあとにアメリカに逃亡してきていた。ローゼンタールはアメリカ独立戦争でアメリカ側のために戦ったことが分かっている唯一のロシア人である。
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