遠征隊実現まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 04:31 UTC 版)
1893年、探検家として知られ、政務官を務めていたフランシス・ヤングハズバンドと第5グルカ・ライフル連隊の勇将として鳴らしていたチャールズ・グランヴィル・ブルース (Charles Granville Bruce) 准将がチトラル(現在のパキスタン)のポロ球戯場でエベレスト登頂について話し合ったのが、具体的なエベレスト登頂計画の嚆矢であるといわれる。1907年にはイギリス山岳会の創立50周年記念行事としてエベレスト遠征隊の派遣が提案されたが、実現しなかった。しかし、北極点到達(1909年)および南極点制覇(1911年)の競争に敗れたことで、イギリスが帝国の栄誉を「第三の極地」エベレストの征服にかけていくことになる。遠征計画は第一次大戦の勃発によって先送りになるが、戦争の終結とともにイギリス山岳会と王立地理学協会がエベレスト委員会を組織し、ヤングハズバンドが委員長となって、エベレスト遠征計画の具体化が始まった。
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