農禅寺とは? わかりやすく解説

農禅寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/03 07:30 UTC 版)

法鼓山」の記事における「農禅寺」の解説

農禅寺は1975年創建された。 創立主要な目的は、仏教教育従事し文化と社会への思いやり活動正し仏法推進中国伝来仏教精神理解である。現在共修活動各種法会催されている。例え念仏初級座禅クラス大悲懺悔法会浄土懺悔法会、および帰依式典日曜日仏典講義などの活動が主である。 法鼓山重要な発祥地 - 農禅寺、中華仏教文化館開山上人である東初和尚北投に1ヘクタール土地購入し初め建設した文化館の下院とし、1977年東初和尚入寂後、聖厳法師が管理引き継いだ1971年東初和尚弟子引き連れて農禅寺を建築し1975年に至たり完成し使用し始めた創建当初、東初和尚は唐時代の百丈禅師創立した叢林制度見習い弟子たち農業従事する自給自足を旨とし、座禅修行家風としたことによって「農禅寺」と名付けた初期の農禅寺は1棟2階建ての農家で、1階客室2階には文殊菩薩配し文殊殿と称した寺院周囲には菜園竹林配され1977年常時居住していたのはわずか4人だけであった平日には自ら種蒔き野菜栽培し寺の食用供した1978年住職担当した厳法師は寺で日曜日仏典講義開始した1979年には「座禅会」が成立1982年には「念仏法会」が成立毎週共修主催し参加者百人を越すようになった1978年4月、農禅寺はもともと新竹にあった福厳精舎の「アメリカ仏教会」駐台訳経院に土地貸した1979年8月に「三学研修院」を創立した成員訳経院の人々と禅七の学生で、全部10であった当該院はさらに発展して僧団」となり、初期僧団運営所在地農禅寺であった1989年北投関渡平原再開発により、農禅寺の所在地は「関渡平原保護区」に組み入れられ建物取り壊し、立ち退かなければならない運命直面したいろいろと努力した結果台湾台北県金山郷現在の法鼓山所在地を見つけ、そこに法鼓山設立した。農禅寺では定期的に催す共修活動のほか、初期には各部門例え基金会法鼓文化などの事務室はすべてここに設けられた。今日に至るまで、それは法鼓山活動中心としてだけではなく法鼓人の共通の記憶埋蔵する地として、さらに弘法重要な場所となっている。 しかし、農禅寺の撤去立ち退き問題宗教関連地方人々強力な奔走初め、また法鼓山初期開山苦労歴史過程思い起こすため、市民北投農禅寺の集団記憶伝承するために、保留要請したその結果台北市政府2004年7月19日に農禅寺開山時に建築され2階建ての農家慈悲の門など二つ建築物台北市歴史的建築物登録することを公布した。また「保存区」として認定され、それにより建物取り壊し立ち退き運命免れた

※この「農禅寺」の解説は、「法鼓山」の解説の一部です。
「農禅寺」を含む「法鼓山」の記事については、「法鼓山」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「農禅寺」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「農禅寺」の関連用語

農禅寺のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



農禅寺のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの法鼓山 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS