路線見直し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 07:19 UTC 版)
以下の通り路線見直しの検討があった。 函館水電時代 前身の電力会社運営時代は郊外に路面電車を進出させる気持ちは終始無かったと言われている。 廃止バス転換、無軌道への転換、存続(1946年(昭和21年)末頃) 廃止とバス転換はボギー車1両に対しバス2両が必要で人件費がかかる。当時の函館は舗装が遅れていて、バス車両の耐用年数に問題があった。無軌道(トロリーバス)への転換は単車ぐらいの大きさしか出来ず、モーターの出力が小さく積雪地には不向きであった。また、東部地区に繁華街が出来ると予測し、そうであるなら五稜郭公園前が中心になると見て、そちらの方面の輸送力増強をしながら存続することになった。 廃止、バス一元化等検討(1970年(昭和45年)9月 - 1972年(昭和47年)8月31日) 市交通事業経営審議会の「電車は路線が固定的なため市民の変動する交通需要に応ずることが出来ず、乗客は減少の一途をたどる。バスはこれらの欠点がなく市民の交通サービスを向上出来る」とし、「電車を廃止し、バス一元化」の答申を参考に、市交通事業対策委員会は「電車は湯の川 - 函館どつく間以外は廃止」という内容を矢野康市長(当時)に提出したが、労働組合や市民による強い反対により断念した。 函館駅乗り入れ検討(1990年代) 函館駅前土地区画整理事業の整備の指針となった顔づくり計画の策定時に、駅前広場へのスイッチバック方式による乗り入れを検討したが、路線延長のための事業費、幹線道路における通行の流れ、交差点の信号処理の問題で見送っている。 延伸検討(2000年1月26日) 五稜郭公園前 - 富岡 - 赤川一丁目間の路線の延伸が検討されたことがあるが、函館市議会の公共交通調査特別委員会のなかで、交通局管理部長(当時)が、「試算では4.25kmの延伸で28億7500万円かかり、(当時)毎年4、5億円の赤字が出ている中での整備は難しい」とし、企画部長(当時)も「民営バスとの新たな競合が生まれる懸念がある。将来課題としたい」。 延伸検討(2009年7月24日) 第1回函館市交通事業経営計画検討会議にて交通局長(当時)が、「ニーズ的に人口の多い東部地区への延長、湯の川 - 函館空港間を延伸して観光客等をまっすぐ市内へと運ぶという市民要望があるが、データや事業運営の状況をみると非常に難しい。縮小は考えておらず、現状のままで事業を図っていきたいと考えている」としている。
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