路線縮小、その後(1970年代 -)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 20:13 UTC 版)
「札幌市電」の記事における「路線縮小、その後(1970年代 -)」の解説
1966年(昭和41年)に、1972年(昭和47年)の第11回冬季オリンピックを札幌で開催することが決定したことを機に地下鉄が建設されることになり、1968年(昭和43年)から南北線北24条駅 - 真駒内駅間の工事が始まった。さっぽろ駅 - すすきの駅間は市電の最高密度区間である西4丁目線の真下だったため、10 m単位で切断した線路を最終電車の通過後に枕木ごと持ち上げて掘削し、朝までに覆工板を敷いて軌道を復旧するという綱渡り的な作業も行われたが、結局始発電車に間に合わないこともあった。 一方、鉄北線は新琴似駅前から当時地平を走っていた札沼線の下を立体交差で抜け、防風林に沿って新札幌団地まで延伸する構想が地域住民の間から持ち上がった。北24条駅で南北線と接続し、都心に連絡するというものだったが、市電への投資は難しいことから立ち消えになった。 南北線開業直前の1971年(昭和46年、2回)と開業後の1973年(昭和48年)、1974年(昭和49年)の4度にわたって多くの市電路線が廃止され、一条線・山鼻西線・山鼻線の3路線を残すのみとなった。残存路線も全廃が検討されたが、沿線住民からの存続要望を受け入れ、市営バスと同様に地下鉄を補完する交通機関として位置づけることで存続されることとなった。その後は車体の更新、軌道や停留場の改修などとともに経営の健全化が図られ、一度は赤字になっていた事業を立て直すことに成功した。 2001年(平成13年)に函館市電と共に北海道遺産に選定された。2002年(平成14年)には再び赤字に転落したことや、車両の老朽化が進んでいること、将来的に乗客数の伸びが見込まれないことなどにより民間委託や廃止、あるいは逆に、環境保護や都心部の活性化の核とすべく、路線の再延長、ライトレール化等が提案されていた。上田文雄札幌市長は2005年(平成17年)2月に市電路線の存続を決定した。
※この「路線縮小、その後(1970年代 -)」の解説は、「札幌市電」の解説の一部です。
「路線縮小、その後(1970年代 -)」を含む「札幌市電」の記事については、「札幌市電」の概要を参照ください。
- 路線縮小、その後のページへのリンク