路線計画の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 09:30 UTC 版)
「阪神高速31号神戸山手線」の記事における「路線計画の経緯」の解説
本路線の計画当初、1965年当時の神戸市による道路計画の第1次マスタープラン(神戸市総合計画)では、高速道路神戸1号線(現在の3号神戸線)の山側に平行する東西方向の路線として東灘区深江より布引・平野を経て須磨区月見山へ至る都市高速神戸2号線および兵庫区西出町より平野を経て須磨区白川に至る高速平野白川線が計画されていた。1969年の第1次計画案では高速2号線は主に山手幹線上を利用する延長約24kmの路線として答申されたが、このころから環境保全問題が全国的にクローズアップされてきたことから、1970年に沿道環境とのバランスを考慮した第2次計画案を答申。これを受けて、旧阪神高速道路公団の事業として第二神明道路と接続する須磨区高倉から灘区原田に至る延長14kmの区間が1971年に、須磨区車から妙法寺に至る延長2.5kmの区間が1972年に予算採択された。これが神戸山手線の原型とされる。 ところがこの計画案に対して沿道住民から環境面の問題から計画放棄の請願が神戸市議会になされた。新市街地として開発が進んでいる須磨ニュータウンに連絡する区間である西代付近以西を早急に事業化するとして、このうち長田区蓮池町 - 須磨区高倉台および須磨区車 - 妙法寺の区間が1972年9月19日に都市計画決定された。これと平行して都市高速道路網の見直しがなされ、背山道路(のちの北神戸線)や山陽自動車道の計画が具体化しており、さらには湾岸道路(湾岸線)の調査・計画が進められていたことから、神戸山手線の機能を背山道路や湾岸道路に代替させ、都市計画決定された部分をこれらを連絡する南北方向の道路として整備する構想が出され、1976年の「新・神戸市総合基本計画」において神戸山手線は明確に南北方向の路線として位置づけられた。だがこの時期において都市計画決定済みの区間での建設反対運動が激化しており、この状況で延伸計画を提案することは計画に重大な影響を与えることが懸念されたため当面見送りとされている。その後、オイルショック等による社会・経済情勢の変化から過去の諸計画の見直しが行われた。また1988年3月に策定された「明石海峡大橋関連地域整備計画」において神戸山手線も関連道路に指定されたことから1990年に至って須磨区白川~須磨区車2.4km間および長田区蓮池町~長田区駒栄町2.2kmの両区間が都市計画決定された。2016年度から一般国道2号 大阪湾岸道路西伸部(六甲アイランド北~駒栄)が直轄事業化される予定だが、神戸山手線の南駒栄ジャンクション~駒栄ランプが含まれている。 なお分岐部(須磨区高倉台~妙法寺間)については社会情勢や交通需要の動向等を勘案して事情実施を見合わせていたが、2006年3月に締結された日本高速道路保有・債務返済機構と阪神高速道路株式会社との協定において、同社が新設する高速道路区間から除外された。
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