豪華客船中の豪華客船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 04:01 UTC 版)
「イル・ド・フランス (客船)」の記事における「豪華客船中の豪華客船」の解説
イル・ド・フランスへの評「豪華客船中の豪華客船」に異議を唱える意見は多く、船体規模、絢爛なインテリアに速度記録など、様々な面でこれを凌駕する豪華客船はそれ以前から、またその引退以降も刷新を繰り返している。それでも長い運行期間中、乗客にまつわるエピソードや伝説、時にはユニークな料理そして多くの洋上救難活動など、広範な活動と逸話に彩られた、20世紀前半~中期における屈指の客船であったことは異論の余地がない。 他社では欧米社交界と上流階級のマナーを踏襲し、様式に則ったサービスに終始したが、CGTはフランス伝統の中にあっても堅苦しさは薄く、多民族の文化に応える柔軟な姿勢で臨んだ。その評判を聞いて藤田嗣治なども乗船している。 キャッチコピーを早くから導入するなど、イル・ド・フランスの運航会社であるCGTは広報活動にも巧みであったが、それゆえか真偽定かでない伝説も多く伝えられている。当時の報道や文献、乗船名簿の記録などから、全くの捏造ではないが脚色が入っていると思われる事例も多い。 イサドラ・ダンカンが乗船した際、船員基金チャリティ(ハリウッド・ガラ・ナイト)の話を聞き、募金への協力に乗客向けの舞踏を上演する際、バランスをとって船の揺れを鎮めるために燃料の重油を放出したとされる出来事。 ラ・アルヘンティーナが航海中に公演を行い、その間は天気予報から針路や速度の指示がいつもより多く、結果到着予定日が遅れてしまった。 ある実業家夫人が部屋つきのボーイにのたもうた。「私、お風呂に入りながらすてきな音楽を聴いてみたいのよね」。翌朝、彼女がバスタブに身を沈めると、その外廊下から音楽が聞こえてくる。ダンスホールの楽団から数人が出張し音楽を奏で、心地よい長い入浴が約一時間のあいだ続いた。等々。 乗客のペット犬などへ提供する食事メニューを発行した客船は、イル・ド・フランスが最初である。 既にトップスターの地位にあった俳優モーリス・シュヴァリエは、ある航海で乗船した際、頭を下げ、自分が厨房に入って料理を一つ作りたいと願い出た。料理のリクエストではなく、乗客が、それも欧米を股に掛けて活躍していたフランスを代表するスターが「厨房に立って調理したい」という希望に、司厨担当達は驚いたが希望を聞き入れた。シュヴァリエは無礼を詫びて、母親が得意とした羊煮込み料理を作り、同行のパーティに振舞った。シュヴァリエは、再乗船ではコースメニューを提案して調理に加わり、一等クラスの晩餐がシュヴァリエの献立でもてなされた。 ナンシー・キュナード(en)は、CGTと競合するイギリスの名門キュナード汽船創業者の孫だが、大西洋渡航は必ずイル・ド・フランスを指定し乗船した。 世界的指揮者アルトゥーロ・トスカニーニは、アメリカで公演する際はイル・ド・フランスのスケジュールに合わせてニューヨーク入り、停泊中の水曜から土曜日にかけてフィラデルフィアなどで演奏公演を行い、とんぼ返りを繰り返した。 サヴァンシア・フロマージュ(en)のブリーチーズブランド名は1936年に輸出輸送を担当した事に因み、パッケージには二本煙突時代のイル・ド・フランスと国旗をあしらったマークラベルで販売されている。(イル・ド・フランスの客室写真など有り) CGT社長ジャン・ドール・ピアズが客船イル・ド・フランスの理念について語ったとされる言葉がある。「生きると言うことは模倣することではない。創造することだ。」
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