詞章の一例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 13:55 UTC 版)
あほだら経の詞章の例を挙げる。 幕末、桜田門外の変が起きた頃に流行した「ないもの尽し」を採集した例。〓は不明箇所。上の画像にある「道楽寺あほだら経」の詞そのものである。 凡そ世の中、ないもの尽し、多い中にも、今年のないものたんとない、上巳の大雪めったにない。桜田騒動途方もない、そこでどうやらお首がない。それに少しも追手がない、一人や二人じゃ仕方がない、お首がどこかへ失せてない、お駕籠もあっても釣手がない、ご番所どこでも留め手がない。茶屋小屋芝居行きてがない、唐人噺し丸でない、道中飛脚絶え間がない、伯耆の噂も嘘でない。それで〓〓恙ない。讃岐の騒ぎは知り手がない。その外この節呼びてがない。常陸の宝蔵に宝がない。一体親父が人でない。薩摩の助太刀わからない。諸屋敷門に出入がない。夜中はさっぱり通りがない、町人金持気が気でない。老中〓〓見っともない。全体役人腰がない。是では世の中治まらない。それでも先々戦争がない、どうだか私は請合わない 荒川キヨシによる「あほだら経・ないない尽くし」の例。 仏説(ぶっーせーつー) 阿呆陀羅経 (ソラ阿呆陀羅経)すなわちだんだん、手枕やっかいいたこ和尚が、唱えあげます、諸芸の一座のお定まり芝居で三番叟(さんばそ)か、相撲なら千鳥か、祭文(さいもん)なればーでれん、のれんの能管しらべか浪花節なら入れごと枕か、阿呆陀羅経とゆーやつは(ソラ)はげた木魚を横ちょにかかえて朝から晩まで親のかたきか遺恨のあるよに、あちゃむき、すかか、こちゃむきゃ すかかすかすか、ばかばか、ばかげたお経にゃ間違いないわい(ソラ間違いないわい)えーい、すかすか、ばかばか、ばかげたお経を 誰がやっても、なんべんやっても、同じことではござります、ちょいと出ましたお笑いに「ないない尽くし」を取り寄せまして、「ないない尽くし」と出かけよか、「ないない尽くし」の事なれば、やれ無い、それ無い、なんにも無い江戸の土地には畑が無い、畑にハマグリ、掘っても無い箱根の山には番所が無い、三本、差したる侍無いぶっさき羽織は着ぃ手がない、今日日のお子達は抜け目がない年いったわたしは、めんぼくない西洋の薬は典薬ない 下手なお医者でおぼつかないそこで命がうけあいない女郎さんには、月に六度の検査があるから瘡けがないそれじゃというて、請け合えない見かけの、小男悪くは無いおひげの無い人、値打ちが無い 金銀贅沢限りがない借金するよーがまわらない晦日(みそか)の言い訳、屁でも無い旅籠の姉さん、まぬけが無い置き屋の姉さん、誠が無いお客は貧相で、登楼(あが)らない ある人、めったに使わないダルマの女郎買い、見たことない それ、お足が無いので、登楼(あが)られないわいやれ、学校、開けん所は無い、 学校開けて、横文字書く人、数少ない書く人あっても、読む人少ない、まだ明治の気質は開けてない今の姉さん、如才が無い、男のよりもり迷いが無い歌わん芸者は、流行(はや)らない河内の木綿でこがない売りと買いとは自由が無い、取っても取っても、まだ足りない異国に取られて、なんにも無い、大きな声では申せませんが、刑務所の隣に夫婦は無い馬方小便だらしがない、馬にも腹当てあってもフンドシ無いフンドシのうても、見苦し無い坊主にハチマキ、こたえが無い 禅宗坊主にカカが無い尼寺さんには亭主が無い お布施の貸し借り、見た事無いあることあっても、取りに来るような、お人は無い天気の青空、はてしが無いスリバチばちさんには蓋が無い、スリコギさんには鞘(さや)が無いお乳母(おんば)の小娘 見たこと無い親より年いった子供は無い 上からあがったためしも無ければ、下から落ちたるためしも無い消渇(しょうかち・今の糖尿病)、小便、とめどが無い砂地に小便、溜まりが無い うしろに目がない女に気が無い、若いときゃ二度無い 三度は、なお無い畳の三角、卵の四角、雪の振り袖 蛙(かわず)の横跳び子供の紋付き、自動車の三階、地球の回転 こいつばかりは見たこと無いわいこれじゃばかりじゃ、お笑いにならなんでなにか一席やったら、事の善し悪しわかろかなれどと 残す節づけあほだら経~ 「ご無礼を申しました」(と言って退場する)。 他には、加藤秀俊ほか著『明治・大正・昭和世相史』(社会思想社)や南博ほか編『近代庶民生活誌』(三一書房)に詞章の例が掲載されている。
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