解釈と影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/26 05:39 UTC 版)
「メキシコ湾流 (美術)」の記事における「解釈と影響」の解説
ホーマーの『メキシコ湾流』の意図は、不透明である。絵は、「ことに不可解な、じれったいエピソード、未解決な謎の領域を永遠にただよう海の判じ物」と評されている。ブライソン・バローズ(一時、メトロポリタン美術館の学芸員であった)はこれが「もし望むなら偉大なアレゴリーの構図をとっている」ことに注意した。そのドラマは、ロマンチックでヒロウイックなところがあり、ホーマーの初期の図解的な諸作品を思わせる、逸話的な細部に取り囲まれた、禁欲的に運命にまかせた男である。 見る者が物語の説明をもとめたとき、ホーマーはかなり怒ってこたえた: 「残念ですが、わたしは、あらゆる描写を必要とする絵を描きました....わたしはメキシコ湾流を「10たび」(ten times)、横切り、そしてそれについてあるていどは知っているはずです。ボートとサメは、取るに足らぬ部外の問題です。『それらは、ハリケーンによって海に吹き飛ばされているのです。』これらの淑女らには、いまは焦がされ、茫然としている不運な黒人は、救助され友人らのもとと自宅に戻され、そしてそのごずっと幸福に暮らすであろうことを告げることができます。」 この絵は、ひとつかみの19世紀のドラマチックな海洋絵画にのみならず、ジョン・シングルトン・コプリーの1778年の作品『ワトソンとサメ』(Watson and the Shark)にもそれとなく言及している。『American Visions: The Epic History of Art in America』において、ロバート・ヒューズ(Robert Hughes)は、ホーマーの絵をコプリーのそれと比較している。コプリーのサメのあごは、形が異なり、そして十中八九、受け売りの話によるのにたいして、ホーマーのは - 題材にたいする美術家の親密さのおかげで - サメの解剖学的構造を正確にとらえている。第二に、コプリーの版では、救助は切迫している:水平線は近くそして明るい色調で、そして港内の、十中八九ドックにはいっている、多くのボートが背景に見える。ホーマーの絵は、円を描いて泳いでいるサメ、折れたマスト、ひとりの人影、ぼうっと見える水上の竜巻、そして外海があって、放棄感を与える。遠く左にある船はあまりに隔たっているので、社会は、存在しながらも、完全に到達不可能であると思わせるほどである。それは見る者に、「これほど近いのにこれほど遠い」的な状況を贈る。これら2つの絵は、直接性においてもまた対照をなす。『ワトソンとサメ』には、不断の運動がある:前進するボート、やすの突き下ろし、犠牲者に手を差し伸べる2人の男性、そしてさいごに、キャンバスから延び広がるサメ。ホーマーの絵では、場面はより静的である:サメらは、波間の谷でだらだらするボートのまわりをゆっくりと泳いでいるように見える。 ドラクロワの『ダンテの帆船』、ウィリアム・ターナーの『奴隷船』(『The Slave Ship』)およびトマス・コールの『人生の航路』をふくむ、ほかの19世紀の絵画への言及は、そのうえ、注意された。これら3点の絵画(ドラクロワの場合は、準備的な習作)は、19世紀半ばのアメリカの公共美術収集のひとつ、ニュー・ヨークのジョン・テーラー・ジョンストンのそれにあって、そしてホーマーがこれらの絵をよく知っていたということはありそうである。彼自身の作品のひとつ『前線からの捕虜』(『Prisoners from the Front』)は、同じコレクションにあった。美術史家ニコライ・チコフスキー・ジュニア(Nicolai Cikovsky, Jr.)にとって『メキシコ湾流』は、ホーマーの直接的な海洋体験よりも、『ダンテの帆船』の拷問に掛けられるひとびとに由来する、円を描いて泳いでいるサメら、『奴隷船』によって霊感を与えられたドラマチックな海と空、そして『人生の航路』に類似する「絵画的な発話のモード」("mode of pictorial utterance")のために、これらの美術上の前任者らによって豊かな情報が与えられている。 この絵の諸要素は、葬儀的言及を有していると解釈されている:ボートのへさきの黒い十字架にくわえて、開いているハッチ(墓をあらわす)、ロープ(死体を降ろすための)、折れたマストと破れた帆(きょうかたびら)は、象徴的な意義のために引証されている。それとは対照的に、1876年のホーマーの絵『風が強まる(順風)』(『Breezing Up(A Fair Wind)』)のボートは、希望を象徴する、へさきの錨を大きく取り扱った。『メキシコ湾流』の船員は、これらの隠喩を無視し、サメら、水上の竜巻に注意を払わず、遠くの船にも注意を払わず、そしてロマンチックな傑作、ジェリコーの『メデューズ号の筏』の楽観主義をさかさまにする。 ホーマーの伝記作者アルバート・テン・アイク・ガードナー(Albert Ten Eyck Gardner)は、『メキシコ湾流』はこの美術家の最も偉大な絵であると信じ、そして美術批評家サダキチ・ハートマンはこれを「アメリカで描かれた最も偉大な絵のひとつ」と称した。のちの諸評価は、「ドラマの、過度と言ってもいいくらいのペーソス」についてより批判的である。ジョン・アップダイクは、この絵を「有名であるが、しかしそのサメの過剰殺害と水上の竜巻のために不条理の瀬戸際にある」と考えた。黒人アメリカ文化学者シドニー・カプラン(Sidney Kaplan)にとって、『メキシコ湾流』は、「黒人 - 水上の竜巻と腹の白いサメとのあいだの自分の最期を禁欲的にホーマー的に待っている不死の黒人 - のイメージの傑作である。」ピーター・H.・ウッド(Peter H. Wood)は、絵を、奴隷貿易およびその後のあいだのアメリカにおける黒人の状況のアレゴリーとして解釈する本を書いている。
※この「解釈と影響」の解説は、「メキシコ湾流 (美術)」の解説の一部です。
「解釈と影響」を含む「メキシコ湾流 (美術)」の記事については、「メキシコ湾流 (美術)」の概要を参照ください。
- 解釈と影響のページへのリンク