解釈と研究史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 21:12 UTC 版)
「ダナエ (ヤン・ホッサールトの絵画)」の記事における「解釈と研究史」の解説
本作品のダナエは聖母マリアとの共通点が見られる。例えばダナエは床に座しているが、その座り方は《謙譲の聖母》像を思わせる。《謙譲の聖母》もまた幼子キリストを抱きながら地に座る形で表現される。またダナエは青い衣装を身にまとっているが、青は天の真実を意味する色であり、しばしば聖母マリアの衣装に用いられた。 中世において他の古代神話がそうであったようにダナエもまたキリスト教化された。その結果、ダナエは相反する2つの寓意的解釈によって捉えられた。純潔を保つために塔ないし地下の一室に閉じ込められたという神話から貞潔な女性や純潔の象徴となり、聖母マリアの処女懐胎を予兆するものと考えられた。これに対し、黄金の雨に変身したゼウスとの間にペルセウスを生んだとする神話は、金銭のために自身の純潔を売り渡したと解釈され、堕落した女性の象徴ともなった。ティツィアーノがダナエを描いたことで西洋絵画におけるダナエのイメージは後者が主流となった。 美術史家エルヴィン・パノフスキーの研究以降、本作品は前者の純潔の寓意、聖母マリアの予兆としてのダナエとされた。パノフスキーは14世紀イギリスのフランシスコ修道会のジョン・ライドウォール(フランス語版)による『フルゲンティウス・メタフォラシス』(Fulgentius metaforalis)に見出される《プディチティア(英語版)型》に基づき、純潔の寓意として考察した。またパノフスキーは金色の雨によるダナエの受胎がキリストの処女マリアの概念を予告するものとして解釈した他の14世紀の文献についても言及した。 しかしこうした寓意的意味や聖母像と共通する表現にもかかわらずホッサールトの『ダナエ』は官能的である。当初はレオポルド・エットリンガー、ウィリアム・セバスチャン・ヘクシャー(英語版)、サジャ・ヘルツォーク(Sadja Herzog)、マドリン・カーリ(Madlyn Kahr)、ラリー・シルバー(Larry Silver)、クレイグ・ハービソン(英語版)といった研究者がパノフスキーの見方を継承発展させたが、ダナエの肉体の官能的な魅力を認めたシルバーとハービソンの研究は絵画の再考を促すこととなった。 現在ではパノフスキーの見解は覆されたと言ってよい。ハラルド・オルブリッヒ(Harald Olbrich)は絵画の官能性の考察をもとにそれまでの解釈に疑念を持った最初の研究者であり、その後、エリック・ジャン・スライテル(Eric jan Sluijter)はホッサールトの『ダナエ』の外見や、仕事の環境、またホッサールトが描いた他の神話画についての考察からこれらの解釈を論駁した。彼はホッサールトの絵画を中世の寓意的解釈の伝統の中に位置するのではなく、コレッジョが本作品の4年後に描いた『ダナエ』(1531年頃)に先行する官能的表現であり、同時代に流行する絵画表現を先導したと見なし、また中世的解釈以上にダナエの官能性を大胆に強化したホッサールトの表現をパトロンであったブルゴーニュのフィリップおよびクレーフェのフィリップの洗練された人文主義的環境に由来するとした。実のところ、ブルゴーニュのフィリップや彼に雇用された人文主義者ジェラルド・ゲルデンハウアー(英語版)によって賞讃されたデジデリウス・エラスムスは神と異教の主題を合成することに反対した。この点から『ダナエ』が中世的な寓意解釈によって描かれたことは考えにくく、むしろ神話に関する古代から中世の文献をもとに描かれたと考えられる。
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