裕次郎の時代
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日活撮影所では、技術課照明係に所属した。藤林は、日活製作再開第1作の現代劇『かくて夢あり』(監督千葉泰樹、撮影峰重義)、時代劇『国定忠治』(監督滝沢英輔、撮影峰重義)の両方を手がけ、いずれも同年6月27日に公開された。当初の同撮影所は人手が足りず、藤林は長谷川一夫に相談し、熊谷秀夫(1928年 - 2013年)、岩木保夫(1927年 - 2011年)が紹介され、大映京都撮影所から同社に移籍している。1955年(昭和30年)に入ると、マキノ雅弘が4本の契約で日活作品を手がけることになり、第1作として、同年2月18日公開の『次郎長遊侠伝 秋葉の火祭り』の撮影に藤林は参加、撮影技師は横山運平の子息の横山実(1912年 - 1986年)、清水次郎長に河津清三郎、森の石松には東宝シリーズと同じ森繁久彌、法印大五郎も東宝専属契約者の田中春男が「法印はわしにやらせ」と立候補したという。同年11月23日に公開した『乳房よ永遠なれ』(撮影藤岡粂信)は田中絹代の監督作で、新東宝でも田中が監督を務めた際には藤林が照明技師を務めており、同作で主演した月丘夢路を藤林は美しく照明設計した。熊谷の回想によれば、ごく初期の段階で「まず月丘夢路をグッと掴まえちゃったんです。その次は北原三枝。その次は裕次郎と、そういう、俳優さんの掴み方が上手いんですよ」という。 石原裕次郎の登場は、1956年(昭和31年)5月17日公開の『太陽の季節』(監督古川卓巳)での脇役を経て、同年7月12日公開の初主演作『狂った果実』(監督中平康)であるが、この時点では藤林は作品に直接関与していない。最初に藤林が裕次郎にライトを当てたのは、三橋達也・月丘夢路の主演作『月蝕』(監督井上梅次、撮影岩佐一泉、同年12月19日公開)であった。主演作では、1957年(昭和32年)5月1日に公開された『勝利者』(監督井上梅次、撮影岩佐一泉)である。以降、裕次郎の主演作は、『俺は待ってるぜ』(監督蔵原惟繕、照明大西美津男、同年10月20日公開)、『錆びたナイフ』(監督舛田利雄、照明大西美津男、1958年3月12日公開)等のいくつかの例外を除いて、ほとんどにおいて藤林が手がけることになる。熊谷によれば、藤林のスタイルを「俳優さん主義のライティング」であるといい、藤林は宣伝用スチル写真の撮影にも立ち会い、現場で「石原裕次郎は脚だけでライト二台要る」と大声で言ってみせたという。藤林は、1959年(昭和34年)2月5日に発表された前年度の第9回ブルーリボン賞で「『陽のあたる坂道』『紅の翼』ほかの照明」を対象として、技術賞を受賞する。ただし『陽のあたる坂道』の照明技師にクレジットされているのは、岩木保夫である。 1963年(昭和38年)1月16日、裕次郎が石原プロモーションを設立、同年、同社が製作した『太平洋ひとりぼっち』(監督市川崑、撮影山崎善弘)に参加、同作は日活の配給で同年10月27日に公開された。同作以降も、藤林は連続的に裕次郎主演作を手がけ続けた。映画界への40年の貢献を記念し、1966年(昭和41年)12月1日、日本映画製作者連盟が主催する第11回「映画の日」永年勤続者表彰を受ける。このときの受賞者にはほかに、潮万太郎(大映)、水原浩一(同)、高田稔(東宝)、久世竜(同)、三井弘次(フリーランス)、吉川満子(同)、高田浩吉(同)ら俳優や、木村恵吾、永富映次郎、渡辺邦男、島耕二、犬塚稔ら監督、伏見晁、野田高梧ら脚本家がいた。1969年(昭和44年)には東宝の森弘充(1922年 - 1974年)に代って日本映画照明協会(現在の日本映画テレビ照明協会)の第5代会長に就任した。1971年(昭和46年)11月、老舗であり大手五社の一社であった日活が成人映画路線に全面的に舵を切り、「日活ロマンポルノ」(1971年 - 1988年)を開始するが、これに前後して、テレビ映画の世界に進出する。この時期の代表作は、テレビ映画では石立鉄男の主演作『パパと呼ばないで』、『雑居時代』、『水もれ甲介』、『気まぐれ天使』、中村雅俊の主演作『俺たちの旅』であり、いずれもユニオン映画の製作物である。石原裕次郎の主演作で最後に携わった作品は、1973年(昭和48年)2月17日に公開された『反逆の報酬』(監督沢田幸弘、撮影金宇満司)であった。1976年(昭和51年)には大映の伊藤幸夫(1919年 - 1992年)に代って照明協会の第7代会長に就任し、翌1977年(昭和52年)には東宝の山口虎男に交代した。 1979年(昭和54年)8月21日、死去した。満71歳没。追悼文を、日活で多くタッグを組んだ撮影技師である横山実が『映画照明』(日本映画照明協会)誌上に発表した。
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