裕福な環境とは? わかりやすく解説

裕福な環境

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 19:20 UTC 版)

大田黒元雄」の記事における「裕福な環境」の解説

1893年明治26年1月11日東京府現在の東京都)に生まれる。 大田黒の父は、日本水力発電先駆者で、芝浦製作所(現東芝)の経営再建し、財をなした大田黒重五郎(-じゅうごろう)である。父・重五郎は、江戸時代には徳川幕府御家人で、小牧(こまき)が本姓であった。元熊本藩大田黒惟信(-これのぶ、砲術家)の次女・らく(1925年没)と結婚し以後大田黒姓を名乗ることとなった。 元雄は長男一人っ子幼時について、父・重五郎は、 「元雄は。幼い時から一度だって、頭なんか叩かないで済んで来た。私は元雄をつかまえて、「馬鹿」だなどと言って子供をいぢめたことを知らない。これも妻が良い女であったから、私が頭を擲(なぐ)らずに済むやうな子供をつくりあげて呉(く)れたのかも知れない。現在でも一時ひとこと)だって争ひ種子(たね)もない。もう一つ幸(さいはひ)なことは、元雄夫婦の間にも争ひがないことである」 と話している。 元雄は、父重五郎の築き上げた裕福な環境で生涯過ごし黎明期写真史に『写真芸術同人として、福原有信福原路草石田喜一郎らと自由で重要な活動を遺し、また生涯にわたって自由な立場から音楽のみならず様々なジャンル執筆続けた若い頃渡欧で、実際に作曲家演奏聴いた体験も、希有なものであったし、楽譜資料欧州演奏会情報芸術動向に関する最新情報日本持ち込むことができたのも、この財力によるところが大きい。ガブリエル・フォーレ演奏を彼は聴いている。島崎藤村聴いたクロード・ドビュッシー演奏を、大田黒元雄聴いていない[要出典]。 しかし、それのみならず、音楽に関する専門的な教育十分に受けていない一青年が、大正時代に、既に活躍ができたというのは、元雄のセンス才幹よるものであろう[要出典]。また、彼は自分得た情報惜しげもなく提供し多く音楽愛好家親しまれ啓蒙としての側面もあった。 大森山王現在の大田区山王)と杉並区荻町現在の同区荻窪)の2か所の東京邸宅のほかに、静岡県沼津市神奈川県小田原市別邸があった。病弱な母の転地療養先で育てられた元雄は、旧制神奈川県第二中学校現神奈川県立小田原高等学校卒業後、旧制高等学校には進まず東京音楽学校教師ペッツォルトピアノ師事した1912年明治45年)に渡英し、ロンドン大学で約2年間にわたって経済学修める傍ら音楽会劇場通い詰め本場芸術親しんだ1914年大正3年7月一時帰国したが、第一次世界大戦の勃発で再び渡英できなくなったため日本にとどまる。

※この「裕福な環境」の解説は、「大田黒元雄」の解説の一部です。
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