芸術と著作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/30 16:07 UTC 版)
サルマティズム文化は以下の人々によって代表される。 ヴァツワフ・ポトツキ ヤン・フリゾストム・パセク ヴェスパジアン・コホフスキ アンジェイ・ズビリトフスキ ヒェロニム・モルシュティン ヤン・アンジェイ・モルシュティン ダニエル・ナボロフスキ この文化ではラテン語が大変好まれ、しばしばポーランド語と混ぜ合わされたマカロニ文体で執筆や演説で使われていた。共和政ローマとローマ市民の関係がポーランド・リトアニア共和国とその「市民」たるシュラフタとの関係に例えられていた(古代ローマとポーランドにおける「市民」のそれぞれの全人口に対する比率が似通っていることからも、この例えには意味があった)。19世紀になると、ポーランド・リトアニア共和国のサルマツキたちの言語様式や文化は、ヘンリク・シェンキェヴィチの「三部作」によって大衆化した。20世紀に入り同作品が映画化されると、サルマツキたちの文化は現代の書籍(ヤツェク・コムダ (Jacek Komuda) など)や音楽(ヤツェク・カチャマルスキなど)ばかりか、RPG作品『ジキェ・ポラ(ポーランド語版)』(波: Dzikie Pola)のようなゲームソフトの対象にまでなった。 「サルマタイ人」たち(サルマティズム信奉者のうち最も熱烈な人々)にとり芸術は家門の名誉を不朽のものとし、祖先の勇猛さとその偉大な業績とを称賛するためのものであった。特に個人や家族の肖像画は大きな需要があったが、その特徴は写実主義、豊かな色彩と象徴性(墓碑銘、紋章、武器などの装飾品)である。絵の中の人々はたいてい、抑制された暗い背景の中に、七分身(半横向き)の姿で立っている。 「サルマタイ人」の芸術において最も特徴的なものの一つは、コフィン・ポートレイトだろう。これは他のヨーロッパ地域には見られない、ポーランド・バロック独特の媒体を利用した絵画である。八角形や五角形の肖像画は棺の頭上部分に嵌め込まれ、死者が誰かが判別できるようにしてあった。また肖像画は不滅の霊魂をもつキリスト教徒の死者が「生きて」いることを表象し、上述のようなにぎやかで豪奢な葬式の間、死者と参列者が気軽に話しかけやすい雰囲気をつくっていた。これは地上と死後の世界とをつなぐ儀式的な媒体の役割を果たしていた。現存する少数のコフィン・ポートレイトは、しばしば描かれた当人が存命中に制作されたものであり、17世紀のポーランド貴族階級に関する信頼度の高い史料である。絵の中の死者は必ず正装ないし旅装をしており、これらは死者が未知の(つまり死後の)世界へと旅をすることを象徴している。現在確認されているコフィン・ポートレイトのうち最古の作品は国王ステファン・バートリの肖像で、これは16世紀末に描かれている。この時代のポーランドは大宰相ヤン・ザモイスキの政府のもとにあり、政治的にも経済的にも思想的にも黄金時代を迎え、ノーマン・デイヴィスが指摘するようにその共和主義は各人の良識と共存していた。 サルマティズム期ポーランドではシュラフタの邸宅や教会が木造で建てられる傾向が強かった。これはゴシック建築と特色あるスタッコ装飾のアーチに代表される、より素朴な建築材料を好む流行が背景にあった。墓は善行が反映されるよう、生前により多く寄進をおこなった教会に建てられた。玄関部分にポーチ(英語版)[要リンク修正](波: ganek ガネク)をもつマナー・ハウス(波: dwór ドゥヴル)が無数に建てられ、その多くは木造(マツ、モミ、カラマツ)だった。賓客が通される広間は大きな玄関ホールであった。マナー・ハウスは女性の住人にとってはより親密な私的空間、男性の住人にとってはより公的な空間であったようである。マナー・ハウスの隅の方には別館が備えられることが多く、邸内は先祖の肖像画、記念品、戦利品で飾られていた。古い時代に建てられたマナー・ハウスは僅かしか残らなかったが、その伝統と習慣は19‐20世紀まで続いていた。
※この「芸術と著作」の解説は、「サルマティズム」の解説の一部です。
「芸術と著作」を含む「サルマティズム」の記事については、「サルマティズム」の概要を参照ください。
- 芸術と著作のページへのリンク