芸術などの手法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 03:22 UTC 版)
第二次世界大戦時の日本では、国家の統制管理下に芸術家らをおき、政府直轄の芸術家協会(報国会)に所属させ表現を利用した。反体制主義の芸術家は投獄、協会へ所属しない者は即召集とされた(兵役は経験済みなのでみな予備役)。日本の植民地であった台湾島での実話を基に誇張、脚色した「サヨンの鐘」など愛国美談として語られ製作されたものもある。 ナチス党政権下のドイツでは、抽象画やモダンアート、アバンギャルド芸術やコンテンポラリー・アートを「退廃芸術」と称し、かつて美術館が買い入れた作品を集め、「退廃芸術展」という美術展を各地で開催した。作品は粗末に扱われ、罵倒に満ちた解説と、国による購入価格も並べて展示された。退廃芸術展の総入場者数は300万人を超え、史上最大の観客数を集めた美術展となった。また、音楽分野でも「退廃音楽展」が開かれている。 一方で、ナチス党が奨励する芸術を集めた「大ドイツ芸術展」も開かれている。その内容はヒトラー好みの分かりやすい内容であり、その描写方法や内容は敵であるはずのソ連の社会主義リアリズムにも類似する。
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