舞台俳優からテレビ俳優へとは? わかりやすく解説

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舞台俳優からテレビ俳優へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 16:49 UTC 版)

斎藤邦唯」の記事における「舞台俳優からテレビ俳優へ」の解説

1929年昭和4年11月17日東京府現在の東京都)に生まれる。本名は同じ。 第二次世界大戦初期1942年昭和17年4月旧制中学校入学戦後1947年昭和22年3月卒業した文学座巣鴨附属演劇研究所開校した1949年昭和24年)、同劇団入団する同年入団した俳優高木均同じく文芸部員には矢代静一がいた。その後、同団を退団し島田正吾辰巳柳太郎新国劇移籍次いで演劇畑を歩んできたが、竹井諒(1901年 - 1970年)が1949年設立した綜芸プロダクション移り映画界に転向した。当時の同プロダクション作品は、嵐寛寿郎主演の『鞍馬天狗』を中心とした時代劇剣戟映画中心であったその後1954年昭和29年)に製作を再開した日活入社する。この時代出演作についての資料残っていない。 1957年昭和32年)には、日本テレビ放送網16mmフィルムVTR駆使して製作し日本で初の刑事ドラマとされるダイヤル110番』に出演した次いで同年10月7日放送開始した朝丘雪路主演作すいれん夫人バラ娘』に出演同作は、渥美清のテレビデビュー作として知られる。『テレビ大鑑 1958』によれば同書発行され1958年昭和33年6月20日時点では、衣笠プロダクション所属しており、東京都北多摩郡国立町現在の国立市)に住んでいた旨の記述がある。当時民間テレビ局は、16mmフィルム媒体として製作するテレビ映画に力を注いでおり、斎藤は、中部日本放送現在のCBCテレビ)が主体となって中央映画貿易とともに製作、1959年昭和34年5月17日放映開始したテレビ映画警視庁鑑識科シリーズ 決め手』に助演した。同作監督の都成潔は東宝から、テレビ映画宣弘社プロダクション渡り歩いた人物であり、斎藤はさらにフィルム世界進んでいった。 折込広告社現在のオリコム)が製作し前年4月1日放映開始した連続テレビ映画まぼろし探偵』が人気博したため、映画化決まり、三東映画が製作し新東宝配給1960年昭和35年2月14日公開され劇場用映画まぼろし探偵 地底人襲来』に「橋本」役で出演した同作は、テレビ版に引き続き吉永小百合出演していることでも知られる同年7月5日からは、連続テレビ映画アラーの使者』が放映開始同作に「宇野刑事」役で出演した同作には、のちに斎藤製作した渡辺護監督作情夫と牝』(1965年10月公開)、『浅草踊子 濡れた素肌』(1966年1月公開)、『うまず女』(1966年3月22日公開)、『絶品の女』(1966年7月12日公開)に出演した武藤周作が「紅とかげ団四号」役で出演している。「紅とかげ団一号」役を演じた福島亨は、のちにメトロ芸能映画部で『女のふくらみ』(監督鶴巻次郎主演桂奈美1966年7月公開)を製作したその後斎藤は、映画の製作スタッフ転向した

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