縄文期、飛鳥時代とは? わかりやすく解説

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縄文期、飛鳥時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:30 UTC 版)

北海道」の記事における「縄文期、飛鳥時代」の解説

縄文時代に入ると、渡島半島函館市の女名沢遺跡など本州からの亀ヶ岡文化の影響見られるうになる縄文時代後期の周堤墓は北海道にしか見られず、特に石狩低地帯集中している。最も大きいものは千歳市郊外にあるキウス周堤墓群で、知床半島付け根部にある斜里町でも朱円遺跡芦別市野花南標津町伊茶仁(いちゃに)などで発見されている。 北海道ではストーンサークル多く発掘され考古学上議論を呼んでいる。渡島管内森町鷲ノ木遺跡後志管内小樽市忍路環状列石地鎮山環列石余市町西崎山環列石石狩地方では空知管内深川市音江環状列石旭川市神居古潭ストーンサークルなど。 続縄文文化 本州以南多数渡来人弥生文化担い手)が進出弥生時代移行するが、北海道には弥生文化水稲耕作)が伝播せず、続縄文文化展開した本州弥生・古墳時代並行する続縄文時代は、紀元前2世紀から8世紀奈良時代頃まで続いた)。この文化は、北は樺太南端部、東は国後島択捉島、南は宮城県北部から新潟県にまで及んでいる。時期のはじめの土器東北北部土器(亀ヶ岡文化)の影響及んだ恵山土器紀元前2世紀から3世紀までを恵山文化と呼ぶ。この文化弥生文化との交流を示す鉄器碧玉製の管玉が見つかっている。また、この文化の影響道央部に及んで江別土器出現する。この土器は後北式土器 とも呼ばれている。江別土器特徴とする江別文化紀元前1世紀から7世紀頃までで、サケ・マスの漁撈生業中心とした狩猟・採集経済である。この文化遺跡からソバ花粉緑豆種子検出されており、食用植物栽培されていたと考えられる擦文文化 つづいて7世紀後半より土師器影響受けて縄文なくなり木片刷毛擦ったような文様擦文式土器特徴とする擦文時代となって、この文化8世紀までを前期9世紀 - 10世紀中期12世紀頃までを後期三期区分する。この文化和人本州以南日本人)との交易によって、12世紀頃には鉄器持ち狩猟のほかに農業漁労を営むアイヌ文化成熟したオホーツク文化期 擦文文化営まれていた頃、オホーツク海沿岸には、道東漁業海獣狩猟中心とするオホーツク文化持った人々移住したが、アイヌ文化成熟した頃に姿を消したアイヌと完全に同化したか、アイヌ追われたものと考えられる。この古代文化は、3世紀から13世紀樺太北海道オホーツク海沿岸千島列島展開された。うち北海道分布するこの文化遺跡年代5世紀から9世紀までと推測されている。 アイヌ文化 擦文文化時代から、徐々にアイヌ民族によるアイヌ文化へと移行したアイヌ文化時代は、明治期和人進出するまで続いた

※この「縄文期、飛鳥時代」の解説は、「北海道」の解説の一部です。
「縄文期、飛鳥時代」を含む「北海道」の記事については、「北海道」の概要を参照ください。

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