縄文犬と柴犬の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 09:49 UTC 版)
日本列島においては縄文時代早期からイヌが出現し、縄文犬と呼ばれている。縄文犬の骨は各地の貝塚から出土しており、これまでに200点以上の犬骨が出土している。縄文犬は猟犬として用いられ、丁重に埋葬された出土事例が多い。人の埋葬に伴う出土事例もあり、特に女性の埋葬に係る呪術的な位置づけであったとする説もある。縄文犬は縄文早期には体高45センチメートル程度の中型犬で、後に島嶼化を起こして小型化し、縄文中期・後期には体高40センチメートル程度になる。弥生時代にはアジア大陸から別系統の弥生犬がもたらされ、縄文犬と形質が異なる。多くは柴系であるとされ毛色は不明であるが、大部分は額段(ストップ)がごく浅く、大きな歯牙を持つ。柴犬の熱心な愛好家には、ほっそりした筋肉質の体格や軽快で俊敏な動き、野性的な鋭い警戒性、人間との強い信頼関係とともに、このような縄文犬の特質を柴犬に求める人もいる。 昔から本州各地で飼われ、古くから、ヤマドリやキジなどの鳥、ウサギなどの小動物の狩猟、およびそれに伴う諸作業に用いられてきた犬である。信州(長野県)の川上犬、保科犬、戸隠犬、美濃(岐阜県南部)の美濃柴犬、山陰の石州犬や因幡犬など、分布地域によっていくつかのグループに細分されていた。第二次世界大戦後の食糧難の時代や、その後の1952年(昭和27年)に犬ジステンパーが流行したことによって頭数が激減した。 現在大多数を占めているいわゆる信州柴犬は、昭和初期の保存運動の中で、島根生まれの雄犬「石」(いし)と四国産の雌犬「コロ」を交配して作られたアカ号の子孫が長野県へ移入・繁殖されたものを源流としており、その呼び名からしばしば誤解を受けるが信州地方原産種ではない。このため、天然記念物に指定された7犬種の中で、柴犬のみが地方名を冠していない。 純粋な日本犬は、洋犬との交雑が進み、大正末期には全国の多くで見かけなくなっていた。このため日本犬保存会が設立された1928年頃から、有志が、山間部の猟師らが飼っていた日本犬を探して譲り受け、「山出しの犬」として育てるようになった。コロはそのうちの一頭で、日保会報の記事などから高知県本川村(現在のいの町北部)で1935年に生まれたと推定される。石は1930年生まれの石州犬で、日本犬を探索していた中村鶴吉が島根県二川村(現在の益田市南部)で見出した。この2頭の曾孫に当たる中(なか、1948年4月生まれ)の血統が、毛皮需要や食糧難で激減していた柴犬を戦後復活させる中心になった。このため、石が生まれ育った下山信市の家を増築して「石号記念館」が設けられ、二川地区は「柴犬の聖地石号の里」を掲げて、愛犬家を呼び込む村おこしを図っている。
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