縄文犬の用途
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 02:17 UTC 版)
縄文犬と当時の人間との関係については多くの研究があり諸説ある。 日本列島におけるイヌは明治時代にエドワード・S・モースにより、東京都品川区・大田区に所在する縄文後期から晩期の大森貝塚において発見された。 1942年(昭和17年)には山内清男が縄文犬の主な用途を猟犬であるとして、以来定説となっている。戦後には1952年(昭和27年)に長谷部言人が縄文時代のイヌを食用としての飼育と位置づけたが、同時に埋葬された可能性もあることを指摘した。 縄文犬の用途は主に、縄文時代の主要な狩猟獣であるシカ・イノシシの追跡・捕獲に用いていたとするのが定説となっていた。形態学的にも縄文犬は歯が脱落して歯槽が閉鎖した部分が見られ、現代のイノシシ猟におけるイヌの歯の欠損状態と類似することが指摘される。特に犬歯や小臼歯の損傷は、狩猟によるものであると考えられている。また、縄文犬は縄文以降のイヌと比較しても歯の欠損や肋骨や四肢骨の骨折・関節症が多く、こうした特徴から狩猟により使役された痕跡であると考えられている。なお、荷役や牽引などに使役された痕跡は見られない。 こうした猟犬としての見方に対し、1992年(平成4年)袁靖、1993年(平成5年)袁靖・加藤晋平が、茨城県麻生町(現:行方市)の縄文時代中期から後期の於下貝塚から出土したイヌの骨を分析し、各部位骨が散乱した状態で出土したこと、イヌの上腕骨1点に解体痕の可能性が高い切痕が確認されたことから、イヌが食用に解体され、骨が食糧残滓として遺棄されたものと指摘している。なお、縄文晩期から続縄文時代の北海道におけるイヌは北方文化の影響を受け、若い個体を屠殺していたとする説もある。 また1997年(平成9年)には、山田康弘が宮城県気仙沼市前浜貝塚や愛知県田原市伊川津貝塚において女性の埋葬に伴う特異なイヌの埋葬事例を指摘し、イヌが女性に関わる呪術的な位置づけがあった可能性を指摘している。前浜貝塚の埋葬事例に関して、その後の再検討によって、女性人骨頭蓋の外板剥離を伴う骨破損は女性埋葬後の犬埋葬時に生じた可能性が高く、女性と犬の特異な同時埋葬の可能性を否定している。栃木県栃木市の藤岡神社裏遺跡から出土した縄文時代のイヌ形土製品は、イヌが吠える形を形象していると解釈されている。
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