紙本著色東福門院入内図とは? わかりやすく解説

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紙本著色東福門院入内図〈/四曲屏風〉

主名称: 紙本著色東福門院入内図〈/四曲屏風
指定番号 2021
枝番 00
指定年月日
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 絵画
ト書
員数 一双
時代区分 南北朝
年代
検索年代
解説文:  元和六年(一六二〇六月十八日、徳川将軍秀忠の女和子【まさこ】が後水尾【ごみずのお天皇女御として入内した。本図二条城から禁裏【きんり】までの入内行列描いたのである。右隻右端最下段二条城から左隻左端最上段の禁裏に至るまで、行列左右両隻を横断して四段わたって展開している。
 描かれた人物は、一人ひとりが面貌から着物色柄姿態まで細やかに描き分けられている。ことに行列中に名前を墨書された上位公家武家面貌には肖似性が認められることも指摘されている。『吉記【きつき】』『玉葉ぎょくよう】』によれば最勝光院別御所さいしょうこういんべつごしょ】の障子描かれ平野【ひらの】・高野御幸【こうやごこう】の図を常磐光長【ときわみつなが】が描いた際、人物の顔面似せ絵の手法で藤原隆信【たかのぶ】が描いた本図はそうした行列図の伝統継承しながらも、前述したような儀式ありのまま描こうとする態度において近世初期風俗画としての性格見せる。その意味で、古代以来行列図の伝統と、その近世的な継承あり方を示す絵画史上重要な作品といえる
 本図は、構図からみて当初巻子装【かんすそう】として構想されたものと思われるが、完成までのある時点屏風装に変更されたとする説がある。どの時点屏風となったかについてはなお検討が必要であり、断定できないが、現在屏風貼り付けとなっている全画面詞書ことばがき】の墨書部分はみな同一人物によって書されたと考えられるまた、禁裏二つの門が開いており、切手門の傍ら行列待ち受けるようにの紋の幔幕まんまく】が描かれていること、禁裏二条城部分筆者同一思われることから、行列部分と禁裏、二条城部分とは、時期的に前後することはあり得ても、本図一部として制作され可能性が高い。
 現状屏風装は一紙横幅をほぼ一扇分の横幅として仕立てられたと考えられ巻子装として完成していれば、全体長さ三〇メートル近い長大絵巻となっていたであろう。これらを総合すると、完成時屏風となっていた蓋然性は高い。
 制作時期は、その記録的な性格からみて、元和六年の入内からあまり時間経ない元和年間一六一五~二四)と考えられる
 前代未聞といわれた華やかな行列光景をいきいきと描き出した生彩ある群像表現と、中世以来絵画伝統継承しようとする構成有する本図は、近世初期風俗画として、また行列図の近世における遺例としても貴重である。



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