笹原・松宮の関係者
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松宮 仁(まつみや ひとし) 松宮仁一郎の息子。地元住人との交流を欠かさず、父とは諍いが絶えなかった。父のやり方に反発して学校を退学、地元民の色眼鏡に悩みながらも地域の活性化に奉仕していた。昭和14年末に父と大喧嘩して家を出たため事件には巻き込まれなかったが、父親との不和と不在証明がなかったことを理由に一度は逮捕されてしまい、境遇に同情した地域住民の嘆願書もあって証拠不十分で不起訴になった後は、懇意にしていた僧侶の勧めで底倉村の禅寺で出家した。 好青年の僧侶。法名は仁如(じんにょ)。世話になった僧の死後はかつて了稔が属していた鎌倉の禅寺にいたが、数ヶ月前からある目的のために旅に出ている。明慧寺を訪れた帰りに、敦子・鳥口と邂逅する。 笹原 宋吾郎(ささはら そうごろう) 武市の息子。箱根のリゾート開発を推進している実業家。元々箱根宿の蓑笠明神の傍で荒物屋をしていた一族で、大正初期に観光利権を求めて箱根にやって来た会社へ、先先代が御一新後に儲けて買い込んだ隣近所の土地を全部売ってひと儲けして関西に進出、そして箱根の再開発を考えて故郷に戻ってきた。所有する山から古書が発見されたため、京極堂に鑑定の仕事を依頼する。 松宮 仁一郎(まつみや じんいちろう) 笹原宋吾郎の共同経営者。箱根に住んでいた実業家。水工場への出資や漆の輸入、原木栽培、細工物売買、石切り場など手広くやっていた。他人のことなど知ったことではないと云う人物で、一帯で唯一貨物自動車を所有していたが、自家用以外では使用せず、利益も出ないのにあちこち仕事を食い荒らされた地元民には煙たがられていた。強欲ではなかったが虚栄心が強く、見栄で資産家の振りをしていたが、内情は火の車で、箱根の借家に越したのも横浜の屋敷を売ったからで、地場産業も何ひとつ巧くいかず、借財だけが残っていた。 13年前の昭和15年1月3日、妻と共に撲殺された上で自宅に火を放たれ、全焼した家屋の中から遺体で発見された。 笹原 武市(ささはら たけいち) 箱根に住む老人。白髪頭を丸刈りにして丸い眼鏡を掛けた、和服の東條英機のような外見。女中の横山すゑを住み込みで雇い、隠居生活をしている。箱根が好きで、外に出ようとしない。郷土愛が昂じて郷土史の編纂や民間伝承の収集も手掛けている。十数年前に、振袖少女を目撃した。 山内 銃児(やまうち じゅうじ) 横須賀の古本屋「倫敦堂」主人。専門は洋書で、音楽も相当に好む。業者としてより蒐集家として一流で、中禅寺に古本の指南をした、本屋の師匠筋に当たる人物。外国の諜報部員のような雰囲気で、不思議な気迫に満ちており、中禅寺が諸葛孔明に例えたように切れ者の印象を与える。 笹原宋吾郎からの仕事を中禅寺に斡旋する。 富士見屋の主人 中禅寺夫妻と関口夫妻が宿泊した宿の主人。笹原宋吾郎には恩がある。半年ほど前に、振袖少女を目撃した。 尾島 佑平(おしま ゆうへい) 盲目の按摩師。住まいは湯本の外れ。笹原武市とも懇意。山道で「人殺しの僧を名乗る人物」に出会ったことを、関口に話す。 松宮 鈴子(まつみや すずこ) 松宮仁一郎の娘で仁の妹。飯窪とは同級生で友人だった。両親が殺害された自宅火災の日に、振袖姿で泣きながら山に入っていくのを目撃されたのを最後に行方不明になる。失踪当時13歳。
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