第5軍団の移動; 追加命令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/20 00:17 UTC 版)
「ディンウィディ・コートハウスの戦い」の記事における「第5軍団の移動; 追加命令」の解説
南軍は3月31日のディンウィディ・コートハウスの戦いで、北軍騎兵隊が攻撃を掛けられ排除されるかもしれない厳しい陣地に追い込んだことで、この戦いに勝利した。 シェリダンは後に、ウォーレンの軍団の動きが鈍いと批判し、翌日にはウォーレンから指揮権を取り上げたが、ホワイトオーク道路の戦いの終わり時点でウォーレンが遠くディンウィディ・コートハウスの方向に砲声を聞いた時に、グリフィン師団のジョセフ・J・バートレット准将が指揮する旅団をピケット隊の側面を攻撃することを目指して、シェリダン軍の支援に送っていた。バートレット隊は野原を横切り、クランプ道路のすぐ東で南軍の哨戒部隊をボアソー博士農園から追い払った。バートレット隊がグレイブリーランに到着した時は暗くなっていたので、その小川を越えようとはしなかったが、狙撃銃で対岸にいる南軍と戦った。暗闇がバートレット隊の勢力を隠しており、密には調べられなかった。 午後6時半ごろ、ミードがピケット隊とシェリダン軍のいる場所について詳細を知ったときに、ウォーレンにボイドトン板張り道路を下って救援部隊を送るよう命じたが、バートレット隊は既に遠く進んでおり、容易には呼び戻せなかった。ウォーレンは、バートレットが大砲と荷車を守るために派遣していた3個連隊を、アルフレッド・L・ピアソン大佐(名誉准将)の指揮で、ボイドトン板張り道路を下って派遣し、このことをミードに報告した。ボイドトン板張り道路のグレイブリーランに架かる橋が南軍によって壊されていたので、ピアソンの到着は遅れた。午後8時20分頃、ウォーレンはミードに橋の修繕が必要だったことと遅れる可能性があることを伝えたが、ミードはその情報をシェリダンに流さなかった。ミードはウォーレンに、全軍をもって移動する準備をするよう伝えた。午後9時17分までにウォーレンは前線から後退し、直ぐにシェリダン軍に1個師団を送るよう命令を受けた。 9時45分、ミードはまずグラントにバートレット隊がボアソー博士農園に前掛かりの位置にいることを伝え、ウォーレンの全軍団がシェリダン軍に救援に向かうべきかを問うた。グラントは、第2軍団がボイドトン板張り道路を保持しておれば、2個師団がバートレット隊のボアソー博士農園に保持している場所に移動し、1個師団をディンウィディに移動させるというミードの忠告に従うと同意した。これに先立って3個軍団全てをディンウィディ・コートハウスの方向に移動させるという考えもあった。グラントはミードに、部隊の配置をシェリダンに伝え、シェリダンは支援に送られた部隊の指揮を執るべきと伝えるよう指示した。ミードはグラントに、ウォーレンの全軍団をシェリダン支援に動かすというアイディアがウォーレンのものであることは伝えなかった。 グラントがその後シェリダンに、第5軍団と、ジェームズ軍からラナルド・マッケンジーの騎兵師団にシェリダンの支援を命じたと伝えた時、シェリダンは根拠も無しに、ウォーレンが「今夜12時までに」到着すべきだと言った。疲れ切っていた第5軍団の兵士が、暗くぬかるんだ道路でしかも橋が無いなかを約1時間で6マイル (9.6 km) 行軍してくるのは不可能だった。その夜の間、ウォーレン軍団の配置、兵站の状況、ウォーレンがいつ命令を受けたかについて、正確で完全な情報をシェリダンに伝えた者はいなかった。それでも、ウォーレンがスケジュールに合わせられないと考えられることは、シェリダンがウォーレンに対して腹に一物持つことになった何かだった。 ミードがさらに送った命令では、グリフィンの師団がボイドトン板張り道路を下り、エアーズとクロウフォードの師団がボアソー博士農園でバートレット隊に合流し、南軍の後方を攻撃するというものだったが、これは、ボアソー博士農園にいた南軍の大部隊を認識せず、また橋の修繕が必要なことも分かっていなかった。ウォーレンはウィリアム・P・ロバーツ准将の南軍騎兵隊がクランプ道路とホワイトオーク道路の交差点を保持し、直接動く脅しをかけているという情報も参謀から入手していた。 ウォーレンは配下の師団の配置故に、時間を節約するためにまずエアーズの師団をシェリダン軍支援に派遣した。この変更と、南軍の大部隊がボアソー博士の家屋に近いグレイブリーランに居るので、南軍の側面と後方に対して動けそうにないという伝言をウォーレンがミードに送ったが、電信線の切断のために配信が遅れた。ウォーレンの命令実行は、その夜に参謀を6人しか使えなかったために遅れた。さらに北軍前線から第5軍団を動かすとして、近くのホワイトオーク道路から南軍の攻撃を避けるために、静謐にしておく必要があったために、遅れが増した。 ハンフリーズの第2軍団は第5軍団が移動した後を埋めるよう言われていた。ハンフリーズはその軍団が3月31日の朝からその場所に移動できると返事した。午後12時半にウォーレンに伝言を送り、ウォーレンの移動予定をハンフリーズの動きと同期させてくれるよう求めた。 ミードは午後11時45分に電信線が回復したときにグレイブリーランの橋の問題を知った。ミードが別ルートを検討するという案を提案したが、ウォーレンはそれではあまりに遠すぎて軍団を動かせなかったので、その案を拒否した。エアーズは午後10時ごろにボイドトン板張り道路を動けというウォーレンからの命令を受けていた。このことで、エアーズ隊は荒れた田園部を約2マイル (3.2 km) 進み、グレイブリーランの支流を渡ることが必要になった。ウォーレンはクロウフォードとグリフィンの部隊に、エアーズの師団がシェリダン軍と接触したという報せが入るまで、今居るところで休息することを認めた。 ウォーレンは午前2時5分に、グレイブリーランの橋の修復が終わったという報せを受けた。エアーズの師団は夜明け近くにシェリダン軍の陣地に到着した。ウォーレンが予測していたように、バートレット隊がピケット隊の側面を脅かす位置に就いた効果があって、ピケット隊はファイブフォークスに撤退しており、それがエアーズ隊のディンウィディ・コートハウス到着までに南軍が行ったことだった。シェリダンの参謀士官の1人がエアーズと会見し、1マイル (1.6 km) 戻ってブルックス道路に向かうべきと告げた。エアーズはブルックス道路に戻り、そこでは南軍の哨戒兵が即座に逃げ出し、午後2時までエアーズ隊がそこで休息していた。 シェリダンは午前3時にウォーレンに伝言を送ったが、それがウォーレンの作戦本部に届いたのは午前4時50分になっていた。その伝言ではウォーレンに自軍の配置を伝えていた。シェリダンはウォーレンが南軍の後方とほとんど側面にあるJ・ボアソー農園に、1個師団を置いていると誤解しており、ウォーレンが南軍を攻撃してくれることを望んでいた。ウォーレン配下の部隊のどれもJ・ボアソー農園には居なかった。最も近い部隊は北に1.25マイル (2.0 km) のボアソー博士農園におり、そのバートレット隊が呼び戻された。このためにウォーレンが進んで、クロウフォードとグリフィンの師団の後退を監督することになった。 午前5時ごろ、グリフィンの師団は左方のJ・ボアソーの家屋に移動するよう指示された。ウォーレンはピケットがその部隊を退いていたことを知らなかったので、グリフィン隊がピケット隊の動きを止められると予測していた。グリフィン隊はクランプ道路に動いている間にホワイトオーク道路から南軍と当たる可能性があると考えていたので、大きな注意を払って戦線を動いていた。南軍は攻撃して来ず、ウォーレンはクロウフォード隊がクランプ道とに到着するまで、クロウフォードに同行していた。 ウォーレンとその参謀は午前9時にグリフィン隊に合流するべく馬で向かった。グリフィンはJ・ボアソーの農園でデビンの騎兵師団と出会い、そこに部隊を止めて、シェリダンに報告した。シェリダンは馬で進んでジョシュア・チェンバレン准将と出逢い、ウォーレンがどこにいるかを尋ねた。チェンバレンはウォーレンが隊列の後方にいると考えていると答えた。シェリダンは、「それが彼の居る場所だと予測すべきところだ」と叫んだ。ウォーレンの部下は、ウォーレンが個人的に勇敢さの無い場面を示したことが無かっただけに、これは公平なコメントではないことが分かっていた。シェリダンはグリフィンに、部隊をJ・ボアソー農園の南0.5マイル (800 m) に置き、エアーズ隊はグリフィン隊の南0.75マイル (1,200 m) に留まっているよう指示した。ウォーレンとクロウフォードの師団がそれから間もなく到着した。 午前6時、ミードの参謀長アレクサンダー・S・ウェブ准将がウォーレンに、今後の命令はシェリダンに求めよという命令を送って来た。ウォーレン配下の2個師団がその伝言から1時間以内にそれに従った。午前9時半に参謀の1人が馬で乗り付け、ウォーレンにウェブの伝言を手渡した。ウェブがウォーレンにこの伝言を送ったのと同時、すなわち午前6時に、ミードがグラントに電報を打ち、ウォーレンがその全軍団を擁して間もなくディンウィディに到着する予定であり、さらなる命令を求めていると伝えた。ウォーレンはミードに、無事軍団を移動させたことを報告し、まだ個人的にシェリダンと会ってはいないこと、グリフィンがシェリダンと話をしたことを伝えた。ウォーレンがシェリダンに直接報告できなかったことは、4月1日に軍団長を解任される要因になった可能性がある。ウォーレンは午前11時にシェリダンに報告した。 グラントは、マッケンジーの騎兵師団が輜重隊を前線から退かせる護衛任務を完了したことを知ると、マッケンジー隊にディンウィディ・コートハウスでシェリダンの所に出頭するよう命じた。マッケンジーは午前3時半にキャンプを解き、モンクネック道路とボーン道路を通ってディンウィディ・コートハウスへ馬で向かった。
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