第5週 - 第9週(2014年8月 - 2016年3月)
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「おかえりモネ」の記事における「第5週 - 第9週(2014年8月 - 2016年3月)」の解説
亀島から船で本土に渡った百音は、町の酒屋で亮の姿を見かける。亮は、震災のあと酒浸りになり、たびたび暴れてしまう父の新次と暮らしていて、もう酒を売らないよう店主に頼み込んでいた。別れ際、百音はその様子を心配して「何か困ってるなら聞くから」と伝えるが、亮はその言葉を拒み、笑顔を見せて百音を見送る。 登米に戻った百音はサヤカに広葉樹の商品開発を命じられ、地元小学校の学童机の製作を思いつく。伐採した木材を乾燥させるコストと、半年で4,200個を完成させるという納期の問題で頓挫しそうになるが、気象の勉強や木工職人との会話からヒントを得た百音の再提案を契機に、問題は解決し納品まで辿りつく。同じ頃、菅波のアドバイスで天気の仕組みの絵本を読んでも疑問だらけだった百音は、彼に気象の原理から教えてもらうようになり、2015年1月、初めて気象予報士試験を受験するが不合格となる。 一方、登米でジャズ喫茶を営み、百音の両親とも親交がある田中知久はステージ4の肺がんを患い診療所に通っていたが、次第に病状が悪化して通院が難しくなる。菅波の指導医・中村信弘が訪問診療を始めたが、菅波は回復が絶望的な状況で患者と深くかかわることを恐れ、訪問診療を拒む。百音から余命のあり方に迷っている田中の心境を聞いた菅波は、彼に「迷う時間を作るための積極治療」を提案し、中村の下で訪問診療に挑戦することになる。 百音はその後、森林組合の仕事にやりがいを感じて気象予報士を目指す熱意が薄れ、2度目の受験も思わしい手ごたえがなかった。そんな中、朝岡が部下の野坂碧・内田衛を連れて登米を訪れる。彼らのフィールドワークに協力した百音は気象予報の可能性を知り、朝岡が語る「危険を予測し、備える時間(リードタイム)を作るための気象予報」という考え方に惹かれる。そして、震災後の救援活動にもかかわった彼の「何もできなかったと思っているのは、あなただけではない」という言葉に、気象予報士として仕事をしたいという思いが蘇る。サヤカや職場からは登米の森林を守る後継者として期待され、どちらを選ぶべきか迷うが、菅波に相談するなかで自身の気持ちを確認し、気象予報士を目指す意思を固める。 年末に百音は帰省し、直前に迫った気象予報士試験の勉強に打ち込む。そんな中、母・亜哉子が酒浸りとなっていた亮の父・新次の通院に付き添っていることを知るが、その直後に新次は、震災で失った及川宅跡地で泥酔しているところを保護される。亮の大漁自慢を聞き、喜びを分かち合える妻・美波を震災で失った喪失感に改めて直面したためだった。亮は自らも抱えていた悲しみが堪えきれず、父と思いを分かち合うために母の愛唱歌を歌うが、新次は立ち直ることを拒絶。耕治と亜哉子はそんな新次に寄り添い続ける覚悟を決め、一方で亮は、悲しい過去に囚われず好きな道に進むべきとの思いを幼馴染たちに語る。百音は、気象予報士になったからといって役に立てるとは限らない現実を目の当たりにするが、それでもこの道を進むしかない、と覚悟を決める。 その後、3度目の挑戦となった試験に合格したものの、百音はサヤカにそれを告げることができず、不合格と嘘をつき彼女を不機嫌にさせる。菅波に事情を聞かれた百音は、震災の日、自分の夢のために島を離れた時に身近な人が辛い目に遭ったこと、同じ状況になって怖くなったことを告白する。菅波からサヤカと話すよう促された百音は、嘘をついたことをサヤカに謝って和解。百音は実家に戻り、家族に震災から抱えた苦悩と島を出た理由を話し、未来を予測して誰かを守ることができる気象の仕事をするために上京する意志を伝える。家族はその思いを受け止め、再び登米に戻った百音は、菅波や森林組合の人々に見送られた後、サヤカに旅立ちを告げ新天地へと向かっていく。
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