突如として訪れた一期目
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 10:02 UTC 版)
「リンドン・ジョンソン」の記事における「突如として訪れた一期目」の解説
1963年11月にケネディとジョンソンが副大統領の地元であるテキサス州を遊説することとなったのは、翌年の大統領選挙で保守層が強い南部諸州の中でテキサス州だけはどうしても勝たなければならないと考えたケネディが最初の遊説地に選んだのが発端であった。南部では、人種差別問題へのケネディの強硬な姿勢と公民権法案の議会提出により、政権への反感が高まっていた。 11月21日、ジョンソンはケネディに同行してテキサス遊説を開始した。最初の遊説地サンアントニオとフォートワースを訪ねた後、翌11月22日12時前にダラスのラブフィールド空港に到着。ダラス市内のパレードに際しては、ジョンソンの乗った自動車は、シークレットサービスの警護車を間に挟んで大統領夫妻の乗った車の2台後から進んで行った。現地時間12時30分、2発の銃弾を受けてケネディ大統領はオープンカーの後部座席で崩れるように倒れた。ジョンソンには怪我はなかった。一行がいったんパークランド・メモリアル病院に入ったのち、シークレットサービスは、暗殺対象に副大統領も含まれているかどうか不明であることから直ちに首都に帰還することを進言したが、ジョンソンはケネディの容態を確認するまで院内に留まることを決めた。 その後、ケネディの死亡が確認され自動的にジョンソンが第36代アメリカ合衆国大統領となった。ジョンソンは直ちに首都帰還を決め、往路ではケネディが使用しダラスのラブフィールド空港に駐機中の大統領専用機に搭乗した。就任宣誓は前大統領夫人の到着を待ってから行うこととし、大統領専用通話でトルーマン、アイゼンハワー元大統領に連絡して協力を要請する。狙撃から2時間8分後の午後2時38分、駐機中の機内で、一家の友人でもあった連邦判事サラ・ティルマン・ヒューズ(英語版) を前に就任宣誓を行った。女性の先導に従って宣誓した大統領はこのジョンソンが初めて、また聖書ではなくカトリックのミサ典書に手を置いて宣誓したのも初めてだった。 大統領暗殺により副大統領から大統領に昇格したのは1901年にマッキンリー大統領暗殺事件でセオドア・ルーズベルトが昇格して以来で、病死を含めて昇格した大統領としてはトルーマン以来史上7人目であった。宣誓の後、大統領専用機はエアフォースワンのコールサインで首都に向け離陸した。 詳細は「ケネディ大統領暗殺事件」および「1963年リンドン・ジョンソン大統領就任式」を参照 ジョンソンはワシントンに戻ってすぐに、各閣僚と個別に会議を行い大統領就任直後から精力的に執務を取った。ケネディが任命した閣僚の多くはケネディの友人や個人的な繋がりのある知人だったため、それまでは歴代副大統領の例にもれず蚊帳の外におかれていたジョンソンであったので、大統領暗殺直後で国内も緊迫した事態の中、早急に各閣僚との意思疎通をすぐに円滑にできるようにした。一部にケネディ時代の閣僚からより自身に忠実であることが期待できる者に漸次入れ替えていったという話があるが、政権の閣僚一覧を見れば解るように、ラスク国務長官、ユードル内務長官、フリーマン農務長官は結局ジョンソン大統領の任期期間中も執務を全うしている。ケネディに迎えられたマクナマラ国防長官もジョンソン政権末期まで以後4年間留任しており、政権中枢はケネディ大統領の時のメンバーを変えていない。また特にジョンソンが苦手とされた外交や国防の分野で、国家安全保障担当の大統領補佐官マクジョージ・バンディや同次席補佐官ウォルト・ロストウ、国務次官ジョージ・ボール、国務次官補ウイリアム・バンディ(後に国防次官補)などはそのままジョンソン政権下でも留任した。 ただしケネディ政権の事実上のNo.2であった司法長官で弟のロバート・ケネディについては、政権の継承と浮揚には不可欠な存在と考えていたが、本人がニューヨーク州から上院議員選に出馬する意向を固めて、翌年には司法長官を辞任した。一部には1964年の大統領選挙に出馬するのではという観測があったが、議員も州知事も経験のない彼はまず上院議員を目指して、ジョンソンの次の大統領を視野において政治活動を進めることとなった。これはジョンソンにとってはまず一安心であった。しかし皮肉にも4年後ベトナム戦争に対する非難が渦巻く中で、ジョンソンに再出馬を断念させたのはロバート・ケネディであった。 また、ケネディ暗殺事件直後に暗殺事件に関する調査を行うウォーレン委員会を作り、委員会に捜査権を持つ権限を与えて国内での暗殺事件に対する陰謀論やソ連やキューバに対する不安を払拭するように努めた。翌年9月にウォーレン報告として調査結果が提出されて犯人リー・ハーヴェイ・オズワルドの単独犯行とする報告であった。最高裁長官をジョンソン自身が説得して委員長に指名したが、皮肉にもジョンソンはこの報告に満足はしていなかった。
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