突山と大関能代潟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/02 08:09 UTC 版)
「高山 (藤里町)」の記事における「突山と大関能代潟」の解説
享保9年(1724年)5月24日に地鳴りと共に高山の西斜面は地滑りを起こし、そのため藤琴川はせき止められ、しばらくせき止め湖ができていた。その高山から突き出してできたような地滑り地形は「突山」と言われ、その突端にあった家が石田家であった。明治大正のころまで、不気味な地鳴りが続いたとか、山肌から異常な出水があったとか藤琴川が干上がり魚が陸に上がったとかの伝説が残っている。その突山の上にあった石田家からは大関能代潟錦作が誕生している。また、能代潟の最初の四股名は、突山であった。
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