突厥=エフタルの侵入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 23:53 UTC 版)
「ホスロー2世」の記事における「突厥=エフタルの侵入」の解説
606/7年頃、ホスロー2世はイラン中央部のスパハーン(英語版)にまで侵入した突厥=エフタル(Turko-Hephthalite)[訳語疑問点]を退けるため、スムバト4世(英語版)をアナトリア半島から呼び戻し、イランへ派遣した。スムバトはDatoyeanと言う名のペルシア人諸侯の支援を得て、突厥=エフタルをペルシアから退け、彼らの支配地東ホラーサーン(英語版)を奪い取った。その地でスムバト4世は彼らの王を一騎討ちで殺害したと言われている。ホスロー2世はその後、スムバトにKhosrow Shun(ホスローの喜び、またはホスローの満足)を、彼の息子のVaraztirots2世にJavitean Khosrow(永遠のホスロー)という名誉称号を与えた。 セベオス(英語版)はこの出来事について以下のように記している。 「 彼(ホスロー2世)は巨大な象を飾り付け広間に連れてくるよう命じた。彼は(スムバト4世の息子)Varaztirots(彼はホスローによってJavitean Khosrowと呼ばれていた)に(その象の)上に座るよう仰せ付けた。そして彼は群衆に宝物をばら撒くよう命じた。彼は(スムバト4世に)hrovartakを書いて大いなる満足(を表現)し、大きな栄誉と栄光を伴って彼を宮廷に呼び寄せた。(スムバト4世)は(ホスロー2世)の統治28年(618/9年)に死亡した。 」
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