禅定部屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 05:23 UTC 版)
泡影(ほうえい) 「最後の十五日」に登場する第72代横綱。モンゴル国出身。母親は日本人で日本語が喋れる。ロシア人の祖父の遺伝で左目が青く、その他にも様々な人種の血が流れているという。丈影と同期入門。 禅定親方にスカウトされ来日するまで相撲の経験が全くなく、入門からしばらくは特異な才能を見せながらも低い番付に甘んじていたが、兄弟子で幕内力士・輝影の指導によりやがて才能が開花、一気に横綱まで上り詰めた。 九月場所七日目時点で62連勝、さらに関脇時代以来29場所連続優勝という大記録を更新し続けており、相手の実力を全て引き出した上で無傷で倒すそのスタイルは、虎城から「大横綱を演じていた自分とは違う真の横綱」「相撲そのもの」とまで評されている。自分の納得のいく四股を追い求めた結果、最後の敗戦となった百雲戦にて相手の動きが前もって完璧に予測できる超能力じみた力を身に着け、その相撲観は虎城にすら理解できない境地に到達している。 九月場所十四日目に全勝の鯉太郎と対戦する予定だったが、連載終了により取組が描かれることはなかった。 母国であるモンゴルに対して多額の寄付を行い、貧しい子供達が通える学校を建てており、土俵以外でも大きな貢献を果たしている。 丈影(たけかげ) 「最後の十五日」に登場する幕内力士。番付は東前頭四枚目。沖縄県出身。本名・比嘉ライアン(ひが ライアン)。父親が外国人のため両目が青く、自分のアイデンティティを確立するために相撲を始め、高校横綱となった後禅定部屋へ入門した。 入門当初から同期の泡影を強烈に意識し、力士として小柄な体格ながら荒々しい真っ向勝負の相撲に打ち込み、泡影に先んじて入幕。やがて輝影と禅定親方が引退し泡影が部屋頭に指名されるとそれに反発し、稽古場で輝影を下すほどの実力を見せ禅定親方を驚かせたが、泡影とは全く勝負にならないどころか熱心に稽古をつけられているような状況になり、本来の実力を大きく上回るかち上げを無意識にぶつけられたことに笑顔を見せた泡影に魅了され、自分より上の存在であると認めて膝を折った。以来部屋頭として尊敬し慕いつつも打倒泡影を密かに誓うようになり、相撲スタイルもそれまでと大きく変え、いつか泡影を倒す時のために体に負担をかけずに勝つ冷静沈着な取り口になった。 スタイルが変わった後の取り口は鯉太郎にとって非常に相性が悪く、以前に行われた鯉太郎との取組には全て勝利しており、また表立った衝突はないものの互いの相撲観に反感を抱き合っている。九月場所八日目の鯉太郎の対戦相手となり、鯉太郎の前進を止めきれず簡単に諦めて土俵を割ろうとしたが、泡影に実力を認めさせられない苛立ちと自分が嫌うスタイルで追い詰めてくる鯉太郎に対する対抗心から精神面が変化。かつてのように情熱をむき出しにした真っ向勝負を挑み、稽古場で泡影に見せた以上のかち上げをぶつけたが、それを受けて喜びながら反撃してきた鯉太郎のぶちかましに押し倒され敗れた。 外見や立居振舞いは感情を表に出さない無機質なものだったが、自分の実力に対する自信は非常に高く、鯉太郎戦前には王虎から「鮫島に勝てたら泡影に勝てると認めてやる」と言われて怒りを露わにしていた。 禅定(ぜんじょう)親方 泡影・丈影入門時の禅定部屋の親方。定年前は部屋の運営、弟子の指導は全て部屋付親方である大曲に任せており、本人は滅多に動かないことから皆から「置物」と揶揄されている。大曲親方の反対を押し切って未経験のモンゴル人青年を入門させ、横綱だった現役時代の自分の四股名「泡影」を与えた。泡影らの入門翌年に、丈影より番付が低かった当時十両の泡影を部屋頭に指名して定年退職した。 大曲 俊彦(おおまがり としひこ) 泡影・丈影入門時の部屋付親方。禅定親方に代わり実質的に部屋を取り仕切り運営している。高校横綱だった丈影を部屋へスカウトした。禅定親方の定年退職に伴い、禅定の名跡と部屋を受け継いだ。 輝影(きえい) 泡影・丈影入門時の部屋頭。番付は前頭下位。禅定親方と共に泡影の素質を早くから見抜き、「泡影を育てたというだけで自分の名が残る」と打算的な面を見せつつ、熱心に稽古をつけていた。禅定親方の定年退職と同時に引退し、大曲の名跡を継いで部屋付親方となる。引退を決めた際、丈影との申し合い稽古で敗れ、「やはりここが潮時だったか」と納得した。
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