破産、再生から復活へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 08:08 UTC 版)
「フィラデルフィア管弦楽団」の記事における「破産、再生から復活へ」の解説
米国のオーケストラは地域コミュニティの顔として、個人の支援や寄付によって支えられている場合が多く、本楽団はその代表的な存在である。大企業がバックに付き、高価な楽器と高収入の名人を呼んでいた経済が好調な時期もあった。しかし、収入の大半を地域住民からの募金に頼っていることに変わりはなく、エッシェンバッハ時代から低迷期に入り、そして、リーマン・ショック以降の米経済低迷で収入が劇的に落ち込み、ついに2011年4月16日、再建型の連邦倒産法第11章(日本でいう民事再生法)の適用を申請することを明らかにした。 同様に世界トップクラスに君臨するドイツやフランスのオーケストラの大部分は国や州の予算で厚く保護されていることもあり(英国は基本的に自主運営。フランスにも私設団体は少なくない)、本楽団の破産のニュースは世界中に報道され、音楽ファンのみならず各界に衝撃を与えた。 一方、この発表に先立ち、本楽団の理事会内部でも更生手続きの適用を申請することについて、意見が大きく分かれていた。まだ財源があることと名声に傷が付くことを理由とする現状維持派と、いまこそ一気に改善すべきだとする改革派との意見の隔たりは大きかった。改革派は客演指揮者のヤニック・ネゼ=セガンの演奏が好評を得ていたことに本楽団復活の兆しを見出し、セガンが2012年秋から正式に音楽監督に就任する前に、財政問題を解決しておきたい、という思いもあった。結局、両派の意見は最後まで折り合いがつかないまま投票日を迎え、改革派の理事メンバーらは涙を浮かべながら更生手続き適用賛成票に投じたとの逸話が残っている。 更生手続きの適用により、全ての債権回収が一旦停止され、演奏活動を継続しながら過去の負の遺産を断ち切ることが可能となり、2012年4月までという比較的短期間で再建プロセスが完了されることとなった。このプロセスで、本楽団の管理職への大胆なリストラと、高価なホールやその他維持費契約等の白紙化が行われ、また各方面での組合員への破格な報酬を支払う義務から解放されることとなった。奏者の収入の減少にもつながることとなったが、奏者側も全員一致で給料・福利のカットに合意した。 本楽団は更生手続き中の18ヶ月間、以前から予定されていた演奏会を一回もキャンセルせず行い、この間市民からの寄付金も逆に増え続けた。2011年10月のシーズン・オープンの際、本拠地キメル・パフォーミング・アーツ・センターとの新規契約の合意ができず、ペンシルベニア大学のアーバイン講堂で演奏した。 その一年後の2012年10月、更生手続きは予定通り完了し、セガンが正式に第8代音楽監督に就任、シーズン・オープンのコンサート、レクイエム (ヴェルディ)を、本拠地キメル・パフォーミング・アーツ・センターにて、満員御礼で迎えた。 ナショナル・パブリック・ラジオは、これをフィラデルフィアの復活と呼び、他のすべての米国オーケストラが同じように財産難に陥っているなか、果たして、フィラデルフィアほどの決断力と実行力を持ちえるのか、懸念を示している。 また、カーネギー・ホールでも、ヤニック・ネゼ=セガンと本楽団のコンビネーションがセンセーショナルな成功を果たし、2013年-2014年のシーズン・オープンコンサートに本楽団を指名した。 2016年6月第一週、フィラデルフィア管弦楽団を率いての来日公演中に、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場が次期音楽監督にヤニック・ネゼ=セガンを指名する、との正式発表がなされ、メディアを大いに沸かせた。フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督を兼務しながらのメトロポリタンオペラ音楽監督の就任となる。ニューヨークとフィラデルフィアは、高速鉄道で1時間を少し超えた、感覚としては名古屋と大阪の距離位置にある。ヤニック・ネゼ=セガンは、かつてカラヤンがウィーン国立歌劇場とベルリンフィルの間を行き来していたような精力的な活動を、フィラデルフィア管とメトロポリタン歌劇場の間で活躍していくことになる。 本楽団は、世界初演や米国初演のコンサート以外に、数々の「世界初」や「米国初」を保持しているが、2012年は、世界で初めて民事再生法の更生手続きを経て復活したオーケストラとなった。
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