県立葵文庫(1925-1970)
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「静岡県立中央図書館」の記事における「県立葵文庫(1925-1970)」の解説
大正期 徳川家の記念事業として、静岡県知事・関屋貞三郎の相談を受けた渋沢栄一が斡旋を行って集めた寄付により、県立図書館の設立提案が県会に議決される。設立費17万円で、1923年(大正12年)12月起工、1924年(大正13年)10月竣工し、1925年(大正14年)4月1日、静岡県立葵文庫として静岡市追手町249番地に開館した。開館記念講演は関口隆吉の子・新村出による「葵文庫の歴史的背景と其将来」。初代館長は貞松修蔵、開館時の蔵書は約2万2,000冊、職員数は16名であった。春夏季は午前8時から午後9時、秋冬季は午前9時から午後9時と労働者の夜間の来館に配慮した開館時間を設定し、使用料3円を納付すると交付される「図書携出特許証」により図書貸出を行った。 昭和初期 葵文庫は、「館内閲覧」「貸出」「巡回文庫」「講座」を事業の4本柱として活動を開始し、「公衆に図書を閲覧させること」を使命としていた。1930年(昭和5年)には、昭和天皇が葵文庫に行幸したが、これは、地方の公私立の図書館で初めてのことであった。1935年(昭和8年)の図書館令改正により、葵文庫が静岡県の中央図書館に指定される。これにより県内の図書館を指導する権限が付与され、運営や蔵書整理、講習会の開催などで町村図書館の指導育成を行った。 戦時下 1937年(昭和12年)日中戦争の勃発以来、図書と図書館の機能が国論の統一と国策の徹底に利用されることになった。1941年(昭和16年)太平洋戦争に拡大すると、戦時体制が一層強化され、国民思想指導に基づく読書指導が図書館最大の任務となり、葵文庫においても戦時読書指導者協議会が行われる。展覧会や講演も、国体、時局、軍事に関するもののみ開催された。戦局が悪化する1945年(昭和20年)3月に、貴重図書を市外7か所に疎開、6月には、空襲を受けて講堂その他を焼失したが、加藤忠雄館長(当時)の消火活動などが功を奏し、書庫は無事だったため基本図書は守られた。 戦後 1946年(昭和21年)、疎開してあった貴重図書を回収、活動を再開する。戦時中は規制されていた活字を求めて、毎日多くの人が来館したという。1948年(昭和23年)には占領軍総司令部民間情報局が静岡CIE図書館(のちにアメリカ文化センターと改称)を設立したが、1953年(昭和28年)、葵文庫に分館として併置された。 1956年(昭和31年)には図書館法に従って静岡県立中央図書館葵文庫に名称変更している。
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