県立葵文庫とは? わかりやすく解説

県立葵文庫(1925-1970)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/09 18:37 UTC 版)

静岡県立中央図書館」の記事における「県立葵文庫(1925-1970)」の解説

大正期 徳川家記念事業として、静岡県知事関屋貞三郎相談受けた渋沢栄一斡旋行って集めた寄付により、県立図書館設立提案県会議決される。設立17万円で、1923年大正12年12月起工1924年大正13年10月竣工し1925年大正14年4月1日静岡県立葵文庫として静岡市追手町249番地開館した開館記念講演関口隆吉の子新村出による「葵文庫歴史的背景と其将来」。初代館長貞松修蔵開館時蔵書は約2万2,000冊、職員数16であった。春夏季午前8時から午後9時、秋冬季は午前9時から午後9時と労働者夜間の来館配慮した開館時間を設定し使用料3円を納付する交付される図書携出特許証」により図書貸出行った昭和初期 葵文庫は、「館内閲覧」「貸出」「巡回文庫」「講座」を事業の4本として活動開始し、「公衆図書閲覧させること」を使命としていた。1930年昭和5年)には、昭和天皇葵文庫行幸したが、これは、地方公私立の図書館初めてのことであった1935年昭和8年)の図書館令改正により、葵文庫静岡県中央図書館指定される。これにより県内図書館指導する権限付与され運営蔵書整理講習会開催などで町村図書館指導育成行った戦時下 1937年昭和12年日中戦争の勃発以来図書図書館機能国論統一国策徹底利用されることになった1941年昭和16年太平洋戦争拡大すると、戦時体制が一層強化され国民思想指導に基づく読書指導図書館最大任務となり、葵文庫においても戦時読書指導者協議会が行われる。展覧会講演も、国体時局軍事に関するもののみ開催された。戦局悪化する1945年昭和20年3月に、貴重図書市外7か所に疎開6月には、空襲受けて講堂その他を焼失したが、加藤忠館長当時)の消火活動などが功を奏し書庫無事だったため基本図書は守られた。 戦後 1946年昭和21年)、疎開してあった貴重図書回収活動再開する戦時中規制されていた活字求めて毎日多くの人が来館したという。1948年昭和23年)には占領軍総司令部民間情報局静岡CIE図書館(のちにアメリカ文化センター改称)を設立したが、1953年昭和28年)、葵文庫分館として併置された。 1956年昭和31年)には図書館法に従って静岡県立中央図書館葵文庫に名称変更している。

※この「県立葵文庫(1925-1970)」の解説は、「静岡県立中央図書館」の解説の一部です。
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