県立美術館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 03:35 UTC 版)
そもそもの発端は、1956年(昭和31年)広島市を中心とした広島県西部の小学校から始まった、美術館建設に向けた「1円募金運動」からである。まず、この地には1960年(昭和35年)4月広島県立図書館が建てられた。 1960年代に入り美術館建設に向け具体的に計画が進み、1968年(昭和43年)9月、中国地方における最初の公立美術館として県立図書館の隣に開館した。この整備計画には児玉希望がアドバイザーとして参加している。 1980年代に入り、施設の改新構想が挙がり、隣の県立図書館の移転が決定したことから、美術館の建て替えおよび縮景園との景観的な一体化を図られるようになる。まず1980年(昭和55年)収蔵庫の拡張が行われ、1980年代後半には県立美術館整備構想案がまとめられる。 1995年(平成7年)新館、つまり現在のものが竣工し、翌1996年(平成8年)10月に再開館した。設計は日建設計、施工は大成建設。
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