県立移管と全日制への転換(1953-1967)
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「岐阜県立吉城高等学校」の記事における「県立移管と全日制への転換(1953-1967)」の解説
1953年(昭和28年)4月7日、陳情の成果が実り岐阜県立吉城高等学校に移行し、引き続き定時制の3科を置いた。同年6月30日、木造2階建ての本館が竣工し、7月30日に新校舎落成式と県立移管祝賀式を挙行した。なお旧設置者である吉城高等学校組合は1954年(昭和29年)3月31日に吉城高等学校後援会に改称し、学校施設の整備に貢献していくこととなる。 県立移管が実現した吉城高校では、次の目標として全日制課程の設置を掲げ、岐阜県に陳情を繰り返した。その結果、1955年(昭和30年)12月15日に岐阜県教育委員会は吉城高校に全日制普通科の設置を決定し、1956年(昭和31年)4月に全日制普通科が開設された。1958年(昭和33年)、体育館が新築された。そして1963年(昭和38年)に定時制課程がすべて廃止され、全日制普通科のみの学校となった。1965年(昭和40年)、鉄筋コンクリート構造3階建ての校舎が建設された。
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